レビュー(論評)の書き方
兵庫教育大学 成田 滋
1997年4月2日
「学校間ネットワークの諸問題」という書籍、または論文についてレビューを求められた場合
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I. どのようなテーマや内容を扱うかを宣言します。次のような例文のように書き始めます。
- 例文1. 「情報化」や「学校の情報教育」とはなにかが、この論文(本)に一貫して流れるテーマである。
- 例文2. これは、学校が時代に対応することにいかに遅れているかについて警鐘を鳴らす一文(本)である。
- 例文3. 日本の教師はどうしてコンピュータの活用に疎いのか、と著者は指摘する。
- 例文4. 「学校間ネットワーク」の普及に見られる現在の教育改革を21世紀への出発点とみるか、戦後教育の最終段階とみるかで教育観は大きく変わる。大切なことは、学校の実相を確かめることであると著者は語る。
- 例文5. 日本の教育の発展と低迷を、教育史の視座を越えて政治的、社会的な制約の中に位置づけ、当面する情報化という課題を整理し分析している。(この場合主語を省略)
- 例文6. 学校とはなにか。家庭とはなにか。情報化とはなにか。教育界ではあまりにも遅れている情報化を「学校間でネットワークの諸問題」というテーマから、執拗に追い続けるのがこの著者である。
II. 次に「学校間ネットワークの諸問題」の現状を関連した論文や時評を引用しながら比較・対照します。異なった見解や立場の見解も引用し、いろいろな考え方があることと、それにより諸問題の複雑さを明らかにします。そのことの言及によって、解決策を示唆したり指摘するのです。
- 例文1. 本論文を読んで思うのは、障害児の全員就学と特殊教育諸学校の整備という成功体験に驕り高ぶり、真の知性も持たずに障害児教育論を喧伝し、そういう似非教育者や管理職をうみだした教育委員会のことである。現在の教育委員会の体質は、次のような特徴がある。、、
- 例文2. 本書が示唆するのは、知的営為であるはずの教育政策に責任を持つ行政官が真に知的にならないと、また同じ愚を繰り返すということである。その繰り返しを避けるためには、次のような見方が必要である。、、、、
- 例文3. 「情報教育待望」と「情報化の影」の意外な面にかんする研究成果の選び方にも解説法に一般向けに魅力と身近さを感じさせる工夫が徹底している。
- 例文4. 教育と情報化との関連は、いろいろな人々が論じている。例えば、XXXXXら(1998)が国際比較との観点から論じている。本論の面白い点は、著者が情報教育が生まれた背景には、西欧の先進国やアジアの急速な発展国に追い越されてはならないという「強迫観念」と「マキャベリ的行動説」を展開していことである。
- 例文5. 教育行政の秘議は、「行政の継続性」の名目で、政策の転換を押し止め、委員会人事には教育長や教育委員や議員を介入させないことによって、管理職優位を堅持し、議会の審議だけでなく、議事の運営にもかかわる、と解説する。では、それを作りかえるにはどうしたらよいか。まず、、、、、、
- 例文6. 学校改革にはわれわれ国民とマスコミが真に知的にならねばならない。教育行政の知的レベルは、国民のそれに比例するのである。
III.
筆者の結論を述べます。この部分では、示唆や展望、あるいは感想などを述べるとよいでしょう。
- 例文1. なによりも本論は、辛口ながらも楽しめる教育ジャーナリズムの成功例である点が意義深い。
- 例文2. 教育行政に対するあくの強さと、その記述が多い点がやや気になるが、日本の障害児教育と文化の関係を考えるのに役立つ。
- 例文3. テーマは少々固くて退屈であるが、障害児の親子の意見が著者の足によって十分に取材され、爽やかな風にふかれたような読後感がこみ上げてくる。