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〜〜〜米国教育視察研修 〜〜〜


NEW MEXICO &TEXAS 小,中,高校,大学 視察旅行記

(1996.1/6 〜 1/15) 引率 : 兵庫教育大学 学校教育研究センター教授 成田 滋


私の子ども心に大きくアメリカの素敵なイメージを抱かせたのは、30年以上前にモクロのテレビ画面に登場した「名犬ラッシー」と、さらに十数年前の「大草原の小さな家」であった。大人になって障害をもつ生徒のいる中学の通常学級及び障害児学級担任をして、障害児教育にかかわるようになった。リハビリテーション法や全障害児教育法の概要を、障害児・者問題の啓発の一環として生徒に教えたのがきっかけで、行って目で確かめたい国として私のあこがれを大きくした。障害をもつアメリカ人法…ADA(1990)の制定がさらにその欲求をかきたてた。
ニューメキシコ州アルバカーキ市、テキサス州オースチン市滞在9日間で、公,私立小学校2校、市立中学校1校、市立高校1校、州立大学2校、障害者の職業訓練施設、オースチン市教育委員会、大学付属と企業の障害者のためのコンピュータ技術研究所、コンピュータテクノロジー年次会議、以上11カ所を訪問視察した。小中学校の2カ所は早朝、成田先生とジョギングして見つけた学校である。午前7時半なんと短パンとTシャツ姿で、突然学校のオフィスルームに入って、直接校長先生に当日の参観をお願いした。数時間後には8人の異邦人の訪問にもかかわらず快く受け入れていただいて、各教室の先生方もすごく自然でそのオープンな気質に心打たれた。 生徒も先生も開放的で、根っから明るいその性格は、地平線から日が昇り、また沈む、日本での価値観が覆されるような広大な大自然に包まれて育つ国民性なのだろう。最もカルチャーショックを受けたのは、小中学校はもちろんであるが、公立の高校が人種や障害を問わず、希望があれば全入になっていることである。身体障害生徒はもちろん、知的障害との重複障害生徒やダウン症等の生徒も公立高校内にスペシャルクラス及びリソースルームが設置されて在学している。休み時間白い杖の視力障害の生徒も友達が誘導しながら、教室移動している姿に偶然出会った。

また空港、大学、街の中などで、ごく自然に車椅子等の障害をもつ人と日本と比較にならないくらいよく出会うことも驚きである。学生の昼休みが過ぎた時刻に、ちょっと昼食に立ち寄っただけなのに3人の車椅子の人と、盲導犬を連れた視覚障害者に出会った。学生寮には車椅子マークの駐車スペースが、約30台分あり、歩行障害の障害をもつ学生だけとっても、多いことがわかる。  空港はもちろん特に大学については、バリヤフリーの視点ですべての施設設備が障害者の移動や生活全般にわたって障壁にならないよう十分な配慮がされている。文献や、本、マスコミ等で百聞はしていたが、まさしく一見にしかずであった。大学、小中学校や公共施設を中心にエレベーターはもちろん、自動ドアー、もしくはすべて横の低い位置に大きなボタンがあり、押すと開く。

 南部のこの二つの州の町はもちろん、公立学校大学も主に白人、黒人、ヒスパニッシュ、インディオ4つの人種が、共に学び生活している。わずか9日間の滞在での外的印象だが、肌の違いを乗り越え、同じ人間として人権を認め合い、障害をもつ生徒も含めた平等な共存社会を見た感じがした。ただ物理的及び制度上のバリアーは法的裏付けがあってかなり解消されているが、意識や心のバリアーの真の解消、つまり日本で言う人権教育はどう行われ、どう根付いているか、1年くらい住み着いて生徒や一般庶民の心の内も覗きたい気がした。  テキサス州オースチンでの最後の土曜の夜は寝るのがもったいなくて、一般庶民とのふれあいを求めて、カントリーミュジックでまさしく “Saturdai Night Feber! ”

午前4時まで踊り明かし、音楽と踊りの心は私も含めて5つの民族も一つだという一体感を実体験して、6時半には機上の人となった。今まで生きてきた40年の中で最も凝縮され、強いインパクトを受けた異次元空間のできごとような9日間であった。

障害児教育専攻      浅谷 優


題名:サミット小学校 IEP(個別化指導)に学ぶ


IEPを実際に教室で見学できたのは何よりでした。一見、まちまちに、14,5人の児童が クラスで学んでいるように見えた。しかし、4,5人のグループで不明瞭な発音の子に、 bigとpigの識別を繰り返すのに出会い、その意図が見えてきた。聴覚障害の子に対し、 先生の発信器のスイッチを入れて、その障害の子と対話するシーンは感動的した。その 子もいわゆる普通のクラスで学んでいるのです。たどたどしくはあっても顔を上げての 学習です。3、4年、混合のクラスです。  しばらくして、おやつが配られ、ここが、いわゆるリソースルームで、先生がコンテスト マスタリー ティーチャーと分かった。その先生に、このクラスにはスローラーナーばかりかと、尋ねた。と、その若い 女性の先生は、クラスの2人の男の子、を紹介し、彼らが、5年程度の学習をしている とのことです。リソースとは、そんな意味もあるのです。Bright,Slowの両方の、と言うよ り 如何にして子どもの認知と情意を併立さすか、にポイントがあるようです。IEPのそこで現 在使われているシートも、子どもの名前を消して、渡され、資料にできました。  このIEPは、親、子どもと学校関係者は同等の立場に立ち、子どものニーズに添って、 いかにして適切かつ効果的に個別指導するか、また、学習到達レベルを知る手だてにもな ります。親は子どもへの措置に満足できないと、疑義を尋ねることも可能です。しかし 、目標とした学力に到達しなくとも、責任は問われないとも聞きます。もちろん、詳細 な指導案面接記録なども、公開されます。もともと障害児の教育保障(1975)が根にある ようです。

   など、abcdeの評価でなされていた。教師によって、A(合格)、P(進歩見えるが継続)、D(測定不能)などとなることもあるようです。  隣のクラスには、車椅子の子も静かに学習していました。(At Summit Elementary Schoo l)    併せて、思われるのは、ニューメキシコ大の研究所で、障害をもつ子で、例えば、触れるだ け残る機能の子、目を動かすだけ残る機能の子が、意志伝達が可能な工夫が見学できま した恐らく、最先端を行くテクノロシジーの1つと言えよう。(At Sundance Training Cener)  ほんの印象ですが、たまたま立ち寄った小学校で、4年生の担任の先生が、放課後な のに、ノートの点検に余念のないシーンに出会った。(Lew Wallace Community Magnet School in Alburquergue.) 高校生の洗濯の実習、ケーキづくりで、なかに、出来立てのケーキの仕分けをしていた少女が いた。言語障害もあり、車椅子だが、なんでも図書館でホランテアしながら大学で聴講生に もなっているとのことです。(At Clifton Career Development School)  たしか、ホールに、We believe students. とモットーが掲げられ、You should have a high sense of self-esteem.と有りました。(At Clifton Caeer Development School)  この旅は、成田滋先生に何から何までお世話になりました。先生の通訳やガイドあっ てのことです。寄らば大樹の陰ですね。ありがとうございました。

斉藤一朗記 : QWL00031@niftyserve.or.jp