以下は、第38回日本特殊教育学会の小講演での草稿です。
2000年9月22-24日 於静岡大学教育学部     updated June 14, 2000


 

障害児教育における統計の諸問題と解決方法を考える

兵庫教育大学 成田 滋  naritas@ceser.hyogo-u.ac.jp

 

  最初に、障害児教育の研究や実践に関わる人々の「統計」とか「統計的検定」に関する意見を紹介する。

その1:
”某学会誌の査読者のある人によると、研究者の最近の傾向として「なにしろ統計検定処理で,この論文は何を言いたの?」というものが多くて困るそうです。統計は何かしら新しい知見を補強するためのひとつの方法なのに「検定したら差が出た、すごいだろ」みたいなものが多くなっているそうです。また,統計検定処理というのはなにかしら研究者っぽい気にさせるらしく、現場の教員でそれにハマる人が増えているような気がするのは私だけかな?”

その2:
”統計処理が「神話」であるということが特に顕著になってきたのは、ここ10年くらいではないでしょうか。私がお世話になった教育大学大学院には統計のわからない教官がいましたが、とにかく論文の「かたち」をとるためには統計処理をしなくてはいけないと言っていました。で、誤った検定法を選択していたりして、、、、”

1. 「統計」に関する誤解  

 前述のような統計に関する意見や感想は、必ずしも正しい観察とはいえないにしても一面で問題の本質をついている。こうした指摘はおうおうにして現場の教師から発せられることが多い。統計に関する誤解にはいくつかの理由がある。
 第1は、関係者の間で、研究と実践を二項対立的に理解する傾向があることである。本来、研究と実践は決して別々のものではなく、むしろ内容としては連続するものなのであり、両者の違いは内容の強調点が異なることである。研究は基礎的な理論の構築や検証に重点があるのに対して、実践は理論の応用と検証に重点があるのである。その意味で、実践では統計での検定を使うことが多くなっても不思議ではないと思わられる。
 第2の誤解は、研究者の無責任な姿勢から生じるものである。多くの研究者は、分野によっては統計の基礎知識がないこともある。従って、不用意に「因子分析を使え」とか「多変量解析が必要」などとのたもうことがある。そのため、指導を受ける学生や院生はその研究者の宣託に逆うことができないため、無知のまま統計処理で推定や仮説の検定をすることになる。
 第3は、教師は研究方法についての基本的な訓練を受けていないことが指摘される。学部や大学院レベルですら、実験計画、統計の基礎知識などを身に付ける機会が少ないことがある。多くの教師は大学院での研究の経験がない。そのことが統計に関する不用な誤解を生むことに関連している。

2. 統計に関する一般的な誤解の例

 統計に関する誤解は、いろいろな状況に見られる。例えば極めて一般的な誤解として、「統計処理をすれば内容がより客観的になる」とか「有意差があることは、実質的に差があることである」、「はずれ値は省いたほうがよい」、さらには「データはたくさん集めたほうが良い」などなどである。論文に数値データがあれば、"客観的な内容の論文である"などと判断してしまうのはその典型である。こうした誤解の理由は、論文を書く者が統計の基礎知識も無しに、安易に統計処理に走ることから生じている。別な誤解の例として、ある院生が調査データを持参して調査目的や調査方法を説明しないうちに、「先生、このデータの分析にはどの検定方法を使えば良いのでしょうか?」などという本末転倒な話がある。

3. 信頼できるデータ収集の努力の欠如

 統計の基本は、信頼度の高い観測値であるデータを収集するかにかかっている。データの収集は標本の抽出、質問項目の検討、データ収集者の研修、実験計画づくり、誤差の無作為化などの対応が基本的な要件である。実験上の変数と剰余の変数の混合対策も必要である。こうしたデータの収集上の注意点は、統計処理の上での基本的な前提なのであり、いくら注意を払っても払いすぎることはない。論文の中では、標本の抽出方法や実験計画などをきちんと説明することが必要である。こうした説明によって、他の研究者による追試が可能となる。

4. 解決方法

 上記のような障害児教育の研究における統計に関する誤解を解くために、次のような提案をする。

 (1) 記述統計の強調
 データを収集したり要約することに関する統計的方法は、記述統計と呼ばれる。平均値や標準偏差、中央値、さらに最頻値などデータのことである。こうした分類されたデータを一目で他者に理解させるには、グラフなどを使って視覚的に表現することが効果的である。そうしたデータの形式により、わかりやすいプレゼンテーションをすることができる。また、保護者に対して表やグラフを使ってデータの内容を説明し、彼らの理解を助けることが容易にできる。保護者への説明責任であるアカウンタビリティは、データを中心としたコミュニケーションによって達成されると考えるべきである。

 (2) ノンパラメトリック法の強調
  多くの実験や調査では、障害児教育の場合では被験者の大きさが限定される。単一被験者の実験もしばしばある。また、少数被験者の場合は母集団の分布が不明であるといえる。また障害児教育のデータの特徴として、自然に分類される離散型の変数が多いということもある。例えば、行動の生起の回数や強さなどである。平均値や分散などを求めないのが離散型の変数である。また調査研究の場合、標本の中に「はずれ値」が必ず生じる。データの変動が多いときは通常の母数による統計検定法は使いにくい。こうした状況のときは、母数によらない統計検定法である「ノンパラメトリック法」を使うことが求められる。従って、障害児教育ではノンパラメトリック法は一般的な手法といえる。


 (3) 統計と社会的妥当性の強調
 統計的な検定は、それを用いる側の恣意的な解釈が働くことが多い。その理由は、実験や調査に必要な要件を必ずしも満たすことができない場合が多いからである。従って検定の結果をだけを過信することを慎むとともに、結果の分析について一面的に解釈しないよう心がけるべきである。統計上の有意な差は、実質的に意味ある差であるとは限らない。検定により有意であった場合でも、それを周りの者、例えば親や友達が「A君の行動はこれまでとは確かに違ってきている」、「Bさんの中に自信がついている」という観察のほうが実質的に意味のあることである。統計的な有意は、社会的に妥当であるかを問うてみることである。

まとめ

 統計的な方法の利用は、過去50年の間に著しく増加した。行動科学においてもそのことはいえる。我々が意識しょうとしまいと、統計の手法はいろいろな形で使われている。統計は記述統計と推測統計から成るが、ややもすれば統計は後者の統計的検定のことのように誤解されがちである。記述的な統計データは事象の分析には欠かせないものであり、その信憑性が高いとき、統計的な検定が可能となる。  統計的な検定は、偶然によって生まれたデータという結果に恣意的な判断を下し、解釈することを慎むための検証行為である。われわれが諸々の事象の結果から何らかの判断をする場合に、得てして起こしがちな勝手な解釈や主観を排除するために統計的な検定を用いるのである。統計は決して難しいものでも、研究者だけが使う手法でも断じてない。いろいろな応用に富むものであることを知って、正しく使いたいものである。