精神遅滞児の携帯用ガイドとなる多目的「エージェント」の開発研究 (課題番号 07458244) 文部省科学研究費助成 基盤研究(B)(2) 平成9年3月 研究代表者  成田 滋 (兵庫教育大学)  第一章 研究の概要 (1) 研究背景  多目的「エージェント」の設計と開発にあたって  障害者の自立や社会への参加が叫ばれて久しい現在、その自立を助けるコミュニケーションの 道具としてのデジタル化技術の応用が注目されている。多くのテクノロジの中でも、市販されはじ めている携帯型の個人用情報機器は、障害児、親、学校の三者をつなぐ新しいインターフェイス として、精神遅滞児の自立や社会参加を支援するために、身体の一部のように活用される可能性が 高いと考えられる。 知的に障害のある精神遅滞の場合は、キーボードやマウスを使うこと自体に困難な場合も多く、 コンピュータの利用は極めて少ない。こうした状況には、コンピュータの使いやすさ(アクセシ ビリティ)というヒューマンインターフェイスが不十分であることが指摘されている。ちなみに、 障害者の中で精神遅滞の人口は最も多く、障害者全体の三分の二を占める。 最近の携帯型個人情報機器は、デジタル化技術の恩恵により、情報を媒介として障害者と 健常な人をつなぐコミュニケーションの媒体となりうる可能性を有している。つまり、この 個人情報機器は、情報のナビゲータとしてロボットのような役割を果たし、精神遅滞児の情報 処理を助けるガイドとして使うことが考えられる。 (2) 研究目的 精神遅滞児は多くの場合、記憶、検索、情報処理、洞察などに困難を示す。その問題を少 しでも解消するために、言語だけでなく具対物や音声などのコミュニケーション手段を使っ て問題解決のための手掛かり情報を提供してやる必要がある。本研究は、障害児の中で特に 精神遅滞児の自立を助けるコミュニケーションの道具として、デジタル化技術を応用する多 目的な"エージェント"というガイド的なソフトウエアを開発することである。  生徒は、この情報機器上の"エージェント"の操作においては、指示された情報を検索するこ とは要求されない。またその情報のありかや検索方法を知る必要もない。ただ、生徒は自分が 求める情報がどんなものであるかをエージェントに知らせるだけでよい。そこで"エージェント "は、短い質問を発しながら生徒が求める情報を得るための方略を教えてくれる。生徒と"エージ ェント"が応答しあいながら、必要な指示などの情報を確認する。 (3) 研究の特色、独創性、予測される結果  本研究の特色と独創性は、精神遅滞児に携帯型の個人用の情報機器を持たせて、そこで働く "エージェント"を学校と家庭と地域社会を結ぶコミュニケーションの有能なガイドとすることに ある。そのためには、ガイドしての"エージェント"は情報を貯蔵するだけでなく、それ自体が 検索機能を有し、音声や絵文字を通して、生徒が必要とする情報へと導く存在となる。この ように、"エージェント"というソフトウエアは、携帯型情報機器上で精神遅滞児の左脳の働き である言語処理を支援するとともに、右脳の画像イメージ処理の支援も行なう。この働きを 遂行するために、ソフトウエア上での使いやすさが強調され、子どもにも使えるガイドとなる ことを設計の基本概念とする。  本研究によって予測される結果は、携帯型情報機器を精神遅滞児の単なる道具としてでは なく、むしろコミュニケーション促進のための賢いガイドとなる可能性があることである。 この"エージェント"は、これまでのように精神遅滞児がコンピュータからいろいろ教わるとい う教材ではない。精神遅滞児の学習にあるのではなく、彼らの召使として、ナビゲータとして 機能するように設計される。 (4) 国内外の研究と当該研究の位置づけ  国内外とも省力化や高齢化社会の進行に伴ない、人と人との直接的な対話は、不特定多数の 集まる場所では極めて困難になっている。そのために、人に代わるロボットをはじめとする 障害代行機器の開発が内外で精力的に進められている。人の役割を補ったり代行する技術は、限 りなく自分で身辺の自立を行なうことを助け、同時にそれによる社会への参加ができるような 支援ができるはずである。多目的"エージェント"は、こうした支援を求めようとする障害者の意 志を確認し、それによって適切な行動へ導くことができる。今日のデジタル化技術の応用は、コ ミュニケーション障害のある人々の自立を助ける可能性が高く、本研究はその実現の一端を担う。 (5) 研究計画、方法 本研究では、携帯型の個人用情報機器としてアップルコンピュータ社のNewtonを"エージェ ント"のために使用する。この機器は、Personal Digital Assistant-PDAと呼ばれるように インテリジェントな情報管理を行なうという点で従来の電子手帳とは異なる機能を有する。 Newtonは、ペン入力による情報を、(1) 文字、(2) グラフィック、(3) ジェスチャ--コマンド --の3種類を認識する。したがって、精神遅滞児は、自分が習得している以上のいずれかの情報 を活用することができる。 "エージェント"の開発にあたっては、関連企業のプログラマーの協力を得て、兵庫教育大学や 国立特殊教育総合研究所にあるMacintoshを用いる。その際、NewtonToolKitというツールを 使い、"エージェント"の開発を行なう。NewtonToolKitは、コミュニケーション用のレイアウト を作る機能と、そこに配置する絵文字などの部品から成る。 ○研究第1年度 研究の初年度では、これまでの諸研究で明らかにされている精神遅滞児のコミュニケーショ ンの特徴を総括し、その知見を"エージェント"の設計の基本として活用する。さらに、精神遅滞の 特殊学級の教員と障害児の親に協力を仰ぎ、具体的なコミュニケーション上の状況場面を設定し、 そこで生徒が抱える問題解決の方略を"エージェント"に組み込む。その過程でいくつかのプロト タイプの"エージェント"を作り、Newton 上に移植して研究指定校の特殊学級の生徒に試行する。 ○研究第2年度  研究2年度では、"エージェント"を携帯型個人情報機器「Newton」に移植し、その利用方法 などについて、買い物を想定した実験が、被験児の自宅と教室と地域社会で行われる。実験 に基づき、"エージェント"の本格的な試行と改良を行う。さらに、生徒と親と教員との三者で、 さまざまなひ課題を設定し、"エージェント"として有効性を検証する。また研究成果を関連学会 で発表する。 第二章 研究の成果 Development of Personal Communication Agent for Students with Speech Difficulties 1997 International TAM/CSFCEC Conference on Special Education and Technology Shigeru Narita, Ph.D. 「障害児教育とテクノロジー TAM/CSFCEC国際年次大会」での発表を終えて (1) はじめに  本会議を主催したアメリカ特殊教育児童協会は、1920年の創立以来、一貫して障害児の教育を 支援し、その部会活動としてコンピュータに代表されるテクノロジーの障害児教育への応用に 関する先駆的な情報を交換する場として専門別の大会を開催している。  発展国の障害児教育におけるコンピュータとネットワーク利用はますます盛んとなり、障害 の多岐にわたる分野で生徒の学習や訓練を助けるためのさまざまな使い方の研究や実践が報告 されている。この会議では、障害児教育におけるテクノロジーの活用に関する最も先進的な 調査や研究の報告がなされ、それにかかわる研究者同士が交流を深め、意見の交換をとおして 学際的な研究を推進することを目的とした。  本会議は、アメリカ合衆国のみならず、広く欧州、豪州、日本の障害児教育にかかわる研究 者や教員が参加し、コンピュータに代表される情報機器を活用した障害児教育の研究とその 応用や実践発表が多数報告され、活発な討議がなされ。また、機器や教材の展示や解説によっ て、こうしたテクノロジーの学校教育への導入と応用が示唆された。 (2) 我が国の当該分野の研究を進める上で参考とすべき点  発展国の障害児教育は、その方面の学校教師や研究者だけでなく、言語治療士、理学療法士、 作業療法士、コンピュータテクニッシャン、親や障害児が参加してプロジェクトを組むという 学際的な構成が目立つ。こうした人々がワークショップを開いたり研究会を開き、新しいテク ノロジーや教育方法を学校教育に導入している。テクノロジーの利用については、教育関係者 には全くの抵抗がない。我が国の障害児教育における情報機器やネットワークの活用についても 、こうした学際的な観点から研究を推進すべきである。 (3) 諸外国の研究の現状  現在、我が国を含めた発展国における障害児教育の主要な研究動向の一つは、新しい情報技 術や手段を使い、障害のある生徒のコミュニケーションや学習を支援することである。こ うした研究は、養護学校や特殊学級に所属するコミュニケーションが困難な自閉的な傾向や 言語障害のある生徒が、個人用の情報端末を使うことである。あらかじめプログラミングされ たコミュニケーション支援ツールを頼りに、地域社会や学校の中で、日常的な行動であるバス に乗るとか買い物に出かけるためのスキルを身につけさせることである。携帯用の小型情報 端末を携帯電話やPHSと併用して多目的に利用する研究が、今後も進むと考えられる。 (4) 研究集会で得た情報を国内の研究者に提供する方法、その他  発展諸国の障害児教育関係者が、障害児の自立を支援する情報処理技術の活用に関する研究 を発表しあい、それぞれの国のコンピュータ活用研究の実状やその知見の教育への実際的な応 用と問題点などを確認し、互いに刺激し合うことが必要である。そのためにネットワークをい っそう利用すべきである。なお本会議で発表した論文は、本報告書に掲載した。また、WWW のページで、本研究の概要や関連研修の様子がすでに公表されている。URLは次のとおりである。 http://www.ceser.hyogo-u.ac.jp/master/us-kenshu/97kensyu.html