■目次■第76回関西例会のお知らせ ウィスコンシン-マディソンより 文化の日を前に「白夜の広場から文化を考える」 MES自作教材集CD_ROM97の刊行と教材の募集 日本教育心理学会へどうぞ 天狼&ディル in Madison 〜自閉症児を連れてアメリカへ 卒論に協力してください。 市販教材の紹介 1997年アメリカ合衆国障害児教育とマルチメディア/ネットワーク活用の視察 報告書の紹介 皆さんからのお便り 事務局から 673-14 兵庫県加東郡社町山国2007 兵庫教育大学 学校教育研究センター 0795-40-2205 phone Email:成田 滋
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◎私の方は、10月5日から始まるケンタッキー州レキシントンでの学会の口頭発表が事実上の最後の仕事ととなり、残る1か月は帰国準備や、こちらで行った研究結果を論文にまとめることに費やされることになりそうです。満足のゆく研究成果が得られたことで、渡米は大成功だったと思っています。
私の仕事以上に満足感を覚えるのが長男の教育です。マディソンの充実した障害児教育を惜しみなく与えて下さったショウッドヒルズ小学校や教育委員会の方々への感謝の気持ちでいっぱいです。帰国後は、こちらのでの経験を日本で生かして行くことを真剣に考えたいと思っています。
佐藤 裕
空港はどこも広々しています。乗り継ぎの合間にビールを飲みながらぼんやり窓の外を眺めていると、暖かい日差しをいとおしむように人々が乳母車を押してゆっくり散歩しています。この空港ではパスポートの審査が無かったような気がします。あの大袈裟な「ALIEN(外国人)」というサインも見かけません。だれでもいらっしゃいという雰囲気があります。EUの実質的な統合が始まったのだからでしょうか。腰をあげるとウェイトレスが「落としましたよ」といって駆け寄ってきました。お釣りの札がポケットからはみ出たらしいのです。なにか良いことがありそうな予感とともに、この国の印象がきまったようです。国の代名詞は「スオミ」、国民的な英雄シベリウスを輩出したところです。そしてバルト3国の一つ、エストニアが回想の場です。
地図やガイドブックを手にする家族連れがあちこちから繰り出してきています。多分遠くの田舎から汽車でやってきたのでしょう。精悍な体格と質素な服装からすると酪農か農業でも営むのでしょうか。二両連結の路面電車の中で子どもは、両親にあれこれと質問しています。父親は質問に対する用意があまりなさそうで、威厳を保ちながらも戸惑いを押し隠すように答えています。ここは、こうしたお上りさんやまわりの国からの新参者が行き交っています。通りに面したカフェやレストランは競うように色鮮やかなパラソルをひろげ、テーブルや椅子を並べて客を迎えています。待ちに待ったつかの間の夏です。ここには東洋からの若くて元気の良いギャルの群は見かけません。それにしても街のあちこちに広場があります。大道芸人のアクロバットや道化師のパントマイム、弦楽三重奏をかなでる音楽家、そうした芸術を演出する通りがかりの人々、そして白夜という舞台が用意されています。
ここでは広場について考えます。古今、政治も経済も祭りごとなど貴族や庶民の生活は、この空間で繰り広げられたと案内板に記されています。討論がなされ、政治が語られ、裁判も行われついでに処刑も執行され、そしてとりなしの礼拝が行われました。いわば神も市民も集まったのです。こうした場所では聖と俗の住み分けが難しいほど、政教が混在していました。中世の暗黒時代を、ルネッサンスの華やかな時代を知っているのは、この広場というところなのでしょう。ここでは、古から現代の歴史を広場から考えるのが本稿の目的ではありません。広場が市民の生活や文化の形成にどんな役割を果たしたのだろうということです。
街の原点は広場にあるようなものです。その中心はなんといっても市場という広場でしょう。広場は、生活の場でもあります。マーケット広場とかマーケット通りという地名が必ずといってよいほど大きな街にはあります。ヘルシンキもタリンも例外でありません。広場はとりわけ食の交流の場ではなかのではないかと思われるほど活気があります。どこの広場もこと食べ物に関しては、例外なく賑わいが演出されています。毎日早朝から市場が広場につくられます。近隣の農家が競って新鮮な野菜や果物を山のように並べています。数時間前に掘り出したかのように土がべっとりとついている馬鈴薯を人々はせっせと買っています。日本人にあっては、米のない食生活が考えられないように、かの地では馬鈴薯なしに食文化は語れないようです。アメリカの生活もそうしでした。もともとヨーロッパからの移民で形成されるのだから当たり前の話なのですが。苺などベリーの種類の多いのも北国の特徴です。オフィスの受け付けには、苺が篭に入れられて自由に振る舞われています。広場のカフェでは、苺がのったケーキやルーバーブのパイをほおばりながら珈琲を注文するのが粋なのだそうです。
広場はまた魚市場のようなところでもあります。魚といえば鮭か鰊(ニシン)に限ります。スモークされた薄切りの紅鮭は涎がでそうです。鰊はスライスされたタマネギと混ぜられて甘酸っぱく味付けされています。味が濃く”ヘビー”なマリネです。これもたくさんの種類があって、朝食から食卓にのってきます。かって北海道の日本海側では、この魚は鰯(いわし)のように随分とれたのを想い出します。筆者も最北端の稚内にいたは、大根おろしにつけながら飽きるほど食べたものです。マリネも悪くはないのですが、素朴な味がどこかへ行ったようで少々寂しいところもあります。
広場に戻ります。政治は広場とともにありました。とりわけ、中世に勃興した自治都市と広場の関係は興味深いものがあります。タリンの街は城壁で囲まれて発展しました。その中には古い教会が建ち並び、街のタウンホールといういわば役場が広場の一角にあります。広場は街の中心にあり、恐らくいろいろな集会が開かれたに相違ありません。さらに街には、商工組合の原点とされるギルトのあった建物があり、政治とは切り離された独自の商行為をしていたことがうかがわれます。その建物は今は歴史博物館となっていてお年寄りがのんびりと入場料をとっています。この広場も政治と経済と宗教がおりなした人間の歴史や文化をみつめてきたといえるようです。
文化とは共有化されるべきのものだといわれます。その共有のための手段として、当時は人と人が出会うことが必要でした。それが広場であります。「人」と「もの」と「情報」がなくては広場は成り立ちません。ものとは、商品などを指します。ついで情報ですが、これは文化ということです。文化といえば、その使われ方は一つの方向性があります。つまり、文化とは好ましいもの、望ましいものと考えられていることであります。その例として、文化という単語は、枚挙にいとまがないほどたくさんの名詞があります。文化大革命、文化国家、文化都市、文化村、文化庁、文化勲章、文化功労、文化の日、文化人、あげくは文化風呂、文化鍋、文化食品や文化包丁などというのもあります。どれをとっても文化とは誰にでも好感を持って受け入れられようなところがあります。しかし、それは文化の一面にしかすぎません。
人間の所産が文化とするならば、すべての業が人間を幸せにしたということではありません。人は文化によって苦しみ、虐げられ、死に追いやられてきた事実もたくさんあります。文化を生み出した広場の歴史を垣間みてもそれがいえます。たとえば、魔女狩りが行われ、火あぶりやギロチンなどのみせしめの処刑が行われたのも広場であり、君主政治にみられる権力や権威が横暴を振る舞ったのも広場であります。その象徴が壮麗な建造物に囲まれた広場に見られます。赤の広場や天安門広場は政治の舞台となりました。ロンドンのトラファルガー広場は戦勝記念につくられていて、人のエゴがむき出しのなんとなく歪んだところがあります。歪んだ文化の最大の所産は、人が同胞を殺す道具を作ったことでしょう。広場は皮肉にも暗い文化の断面を見つめています。
情報化社会で広場とはなんでしょうか。「人」と「もの」と「情報」といういわば文化の三要素が、ここでも新しい空間を形成しています。それは、電脳広場とか電子広場というものであります。今はまだ、気軽に人と人とが対面してやりとりはしてはいませんが、早晩テレビ電話も実用化するでしょう。目に見えない人々が待ち合わせ、行き来して、そこで集まり、休憩もしています。このような広場では、誰もが主役になりえます。かっての「政治」「経済」「宗教」という従来の位相は、電脳界ではどことなくなじまないところがあります。組織もそうであります。人の顔が見えない組織は、飽きられるといわれます。個人と個人とが線となり、それがより重層的に結びあっているのがこの新しい電脳の広場であります。しかして、国境のない電脳広場に、「国益」をめぐってのぎすぎすした政治はさして重要とは思われません。
情報ですが、ある人にとってはとても大事なことは別の人にとっては屑のようなものとなります。それは選択する側が決めるからであって、その人がなにを求めているかによります。わけもわからない情報ばかりがは充満している、ときめつけるのは勝手だとしても、その前に「貴方はなにを主張するものを持っているのか」という問いに対する用意がなければなりません。広場というところは、なにかを主張する者と、なにかを感じる者が登場して成立するようであります。白夜の地の大道芸人のおかしい芸には、なんらかの真剣なメッセージがこもっています。だから人々は立ち止まり、そしていくばくかのお金を入れたくなるのです。どのような広場でもその舞台の主役は、情報を共有しようとする人々ということになるのでしょう。
●教材募集期間: 1996年9月1日-1997年1月31日
一次締め切りは12月23日のMES関西例会です。ここで、作品の紹介と検討を行います。すでに作られている作品は12月15日ごろまでに送って下さると嬉しいです。作品は、著作権の検討でかなり時間がかかります。
●刊行予定: 1997年4月
自作教材が早く集まると、2月21-23日のMacExpoに間に合うかも知れません。
●開発環境: HyperCard2.0以上、Oracle Media Object、Expand Book、Action、Macromedia Directorその他
●教材の著作権: 教材開発者に帰属します。
●貯蔵媒体:128-230MO、リムーバルハードディスクなど
●媒体の送り先:
〒520 滋賀県大津市際川3丁目9-1
滋賀大学教育学部附属養護学校
大杉成喜
Email: osugi@sue.shiga-u.ac.jp
NiftySERVE: HGA01651
●問い合わせ先:
〒673-14 兵庫県加東郡社町山国 2007
兵庫教育大学学校教育研究センター
成田 滋
直通 0795-40-2205
Email: naritas@ceser.hyogo-u.ac.jp NiftySERVE: MGH00175
障害者とコンピュータ利用教育研究会のホームページ:
http://www.ceser.hyogo-u.ac.jp/narita/mes/mes.html
【座ってすること】
パズル
色塗り、線引き(多種の画材を使って)
カードを使ったマッチング
絵本鑑賞(テピは”ウオーリーを捜せ”シリーズの絵本を見るのが好き)
自主的なティータイム
こども達のカードゲームに静かに付き合う。
アート専門のスタッフの持ってくる毎回異なる題材をリンダと一緒に制作(週2回)。
クッキング(クッキー、ルートビア、アイスクリーム作りなど)
フェイスペインティング(テピは手足に絵の具を塗るのが好き)
【その他】
バスを気にするテピのため、運転手さんに頼んでただで一区間乗せてもらった。また集団でキャンディーハント(芝生の中に隠した飴拾い)やアップルハント(水に浮かべたリンゴを口でとる)をした。
テピのやっていることは低学年の子が好んでする活動で、高学年になるとスポーツとしてのバスケットボールやサッカー、チェスやチェッカーなどをしていることが多い。大きな行事(障害物競走大会など)の時は高学年の子にリーダーシップをとらせることもあった。
◎集団の中で
大勢の子供達に混じっての活動は、リンダに導かれるまま一緒に中に入って長い時間を過ごしている。個別にする活動は短時間でどんどん切り替えていくのでテピは嫌になることもないようだ。個別といってもリンダの周りには絶えず何人かの小さい子供達がくっついて、テピと同じことをしたがったりするので小集団といえるかもしれない。
大集団だと入り乱れる子供達の声の中で、待つことの練習のような感じになることが多い。しかし、テピの動きの中には集団に添おうとする気持ちがかすかに覗き始めているようだ。子供達が大勢移動するとテピもその後を付いて歩き始めたりする.手をヒラヒラさせたり,Tシャツの袖をかじりながら足下だけを見つめていたり,身体でテピ独特のリズムをとっていたりと自分の世界に入っているようでいて結構周りのことを気にかけ,その中にいることがまんざらでもなさそうだ。
◎土砂降りスライディング
アメリカって気候まで派手なのねとつくづく思う。戸外で活動している子供達はこの天気の変化を疎ましく思うというより、楽しんでいるように思うことがある。突然、驚くような激しい土砂降りに見舞われた時、多くの子供達は東屋の中央に集まって雨を避けるが(もちろんテピも)、高学年の元気な子供達は身体を痛いくらいたたきつける雨の中に飛び出していく。芝生の広場の縁にみるみるうちに小さな川ができ、その流れに添って一方行になぎ倒された芝の上は彼らの絶好のスライディングエリアとなる。彼らはずぶぬれになることなどお構いなし、滑りこんでは転び激しく雨と戯れる。テピとほぼ同年齢の少年達のエネルギーの闊達さ。それに感動する心は私よりも、雨を避けながらそれを見ていたヨピのほうが強かったようだ。ヨピはそれ以来、激しい雨が降ることを楽しみにいている。
◎リンダの休日
リンダは彼女の娘達のために2日間休みをとった。この2日間はリンダ同様テピの学校でティーチャーズアシスタントをしているリサが来てくれることになった。リサはこのキャンプに興味を持っていたらしく、臨時スタッフを自ら引き受けてくれたそうだ。テピの先生のひとりでもあるリサが来てくれるというのは嬉しい驚きでもあった。本当に学校ぐるみといっていいようなテピのキャンプとなった。リンダが休みの日の朝、リンダがいないことに不安そうな表情をしていたテピだが、すぐに馴染みのリサとのやりとりの中に引き込まれていった。
◎言葉の辛さ
このキャンプに日本人の兄弟(8才と6才)が一組参加している。4月にここに来たばかりで英語はほとんど分からない。夏のプログラムは何も申し込まなかったという彼らのお母さんにこのキャンプを教えてあげ、それから来るようになった。2人とも話し言葉のはっきりした賢そうな子供達である。しかし、英語が分からないというストレスは子供心にも大変なものであることを彼らを見ていて感じたのだった。
日本人のおばさん(私)がいると安心するようで、いろんな話をしに私の所へ来る。私がテピに付いて歩いている時でも追いかけて来てまで話しをしたがる。彼らが日本語を話すときの生き生きした姿と、英語で話しかけられた時の硬い表情が対象的だ。集団で何かする時、いくら誘っても入って来ようとしない。言葉が分からないのが嫌だという。兄弟だけで離れた所で遊んでいることが多く、兄弟喧嘩もよくする。スタッフ達の声かけも拒否するのでフォローのしようがない。私の話す日本語だけは受け入れるが私も一日中ここにいるわけじゃない。彼らを見ていて痛ましささえ感じた。どうにかみんなの中に入れられないものかと考えた。
いいものがあった。折り紙などのクラフトである。日本人の子供は幼児期にたくさん折り紙などで遊ぶせいか、他の国の子供達よりも器用に感じる。彼らも例外なく折り紙大好き少年だった。思惑どうり彼らの作る折り紙は他の子供達の好奇心をそそり、教わりたがる子も何人かでてきた。折り紙などは実際やって見せることと、手を貸すことだけで教えることができる。短時間だったが彼らに折り紙の先生をさせたことが、少しだけでも心を解させたように思う。それからはアート専門のスタッフの持ってくる課題には素直に参加するようになったのだった。
◎ヨピの参加
他のデイキャンプで4週間過ごした次男のヨピは、中盤からテピと一緒にこ のキャンプに参加し始めた。キャンプの後半にはテピと関わりたがる子供たちも増え(リンダがするのを 真似て本を読んであげたり、一緒にボールをけったり)、他のスタッフも積極 的にテピに働きかけるようになっていた(彼らの多くはテピに無視されたり、うるさがられる結果に終わるのだが)。
兄のテピがこの場ですでに人気者になっていたことがヨピにとって快かった ようだ。テピのそばにいるとヨピもテピ同様、皆にたくさん声をかけてもらえ た。テピに近づいてくる子供達とのやりとりをきっかけにすぐに一緒に遊ぶこ とができた。ヨピにとってこのキャンプは兄のおかげで始めから親しみやすい ものとなっていた。しかしヨピにとって何よりも楽しかったのは同じ日本人の子供と日本語を話 しながら遊べるということだった。マディソンに来てからは友達と日本語で遊 ぶということがずっとなかったので、その喜びは大きかったようだ。
日本人の子供が固まって日本語を話しているという光景は美しくないかもしれない。この夏で急に英語が上達してきたヨピだが、日本語の豊かさ、自由さには比べものにならないのもよく分かる。だから、毎日朝から夕方まで、日本語を自由にしゃべり、泥だらけになって好きなことをして遊ぶのも悪くないとも思う。そこで、スタッフから見える範囲で遊ぶことを条件に、好きなようにさせておくことにした。この日本人の兄弟は7月末日に帰国。ヨピにはつらい別れだったと思う。
◎終わりに
私はしばしば午前中ここで子供達と一緒に遊んで過ごした。なぜかこの場所でくつろげる.人との付き合いは夜に家族ぐるみでというパターンが休みに入ってから定着していた。夏休みで町全体がリラックスして明るい雰囲気に包まれていて,その空気が例外なく私の周囲にも立ちこめていている。この長い休みをこんなに和やかに過ごせると思わなかった。仕事が佳境に達している夫だけは例外だが。
まだ7月中旬だというのに「夏休みは過ぎていくのは早いわ。後少ししか残っていないんだもの。」とつぶやくアメリカ人の母親達の信じられないような言葉も理解できそうな気分だ。テピは重い障害を持つために手厚く個別に扱ってもらっているのだが,その事自体もこの環境の中に自然に溶け込んでいる。
人生経験豊富で話し好きのリンダとのおしゃべりも楽しかった。その間テピは放っておかれ、退屈してか自主的に自転車の自分のコースを回って帰ってくることもあった。テピが自主的に行動した!!これって素晴らしいことよね!と、自分たちのいい加減さを棚に上げて私達は喜びあった。リンダは日本に興味を持ち始め、新学期からは大学で日本語の講義も受けることにしたそうだ。
途中テピの様子を見に訪れたテピの担任のマットは、テピが自転車に乗っている姿を見て、驚きのあまりポカンと口を開けたまま見入っていたとリンダが報告してくれた。自転車に乗れると言った私の言葉を信じていなかったのね。両足揃えてジャンプもできない2歳程度の知能のテピのことを思うとそれは無理もないことだけれど。
このキャンプは親の参加も自由なので時々子供の様子を見にグランドに出てきている親達の中に知り合いの顔もあったし,新しく知り合う親もあった。こういうところもコミュニティー内のプログラムの良さだろう。
なによりも、テピがとても落ち着いて、彼なりに満足してこの場で過ごしていたことがありがたかった。私が事前にMSCR(Madison School - Community Recreation) に提出した参加目的はほぼ達成されたと思う。MSCRのスーパーバイザーからはキャンプの前半には「キャンプについて何か不満や不足があったら知らせるように」という伺いの書簡が届き(この時点で担当スタッフに不満がある場合、スタッフの配置を替えてもらうこともできるようだ)、終わりには「プログラムの内容やスタッフの評価」を求める書類が届いた。公的なものでも、あくまで利用者本位であるのが嬉しい。
そして秋冬に行われるMSCR主催の各種のリクレーションに、個別アシスタントを付けて参加できるという情報も送られてきた。水泳好きのテピをよく知っているリンダは、自分がテピのアシスタントとしてスイミングプログラムに参加するのは大歓迎だから、参加させる決心がついたらぜひ電話をくれるようにと言ってくれた(リンダは新年度からティーチャーズアシスタントを辞めて学業に専念する予定)。リンダを始めとして、テピやその家族の私達に豊かな夏くださった多くの人達に感謝の言葉を贈りたい。
●「Oregon Trail II」
MECCの数あるソフト作品の中でも最もインタラクティブな歴史冒険ゲームです。生涯をかけた西部開拓時代のスリルが味わえます。旅の途中で沢山の決断を迫られます。生きる延びるためにバッファロー狩りをしたり、外見ではわからない川を渡ったり、物物交換で福や弾薬を手に入れたりして行く先々でアクション満載のアドベンチャーを繰り広げます。
・アメリカのその後の歴史を決定づける要因となった時代を体験。
・オールドウエスト西部開拓時代の地理の学習。
・過去の開拓者が置かれていた状況に対する的確な判断をつけます。
販売元 Media Vision 12,800円
●「図鑑おもしろ博士 昆虫1」
-季節のイラストから虫を探そう。
春夏秋冬の画面でカードから虫を探せます。季節によって見られる虫も変わるので、いつどんなところでも視覚的に学べます。
-じっくり鑑賞、しっかり観察
200種類におよぶかぶと虫を写真と映像で紹介。かぶと虫の一生や食事など知られざる素顔がわかります。
-ばっちり検索
科名、名前、写真とあらゆる角度からの検索が可能。
-昆虫博士への道
かぶと虫を育てようではモニターのなかでかぶと虫の飼育をシュミレーションできます。
開発元 NECインターチャネル 4800円
●自分のページを開設
志田一彰 千葉県立千葉養護学校 kazu-s@mxg.meshnet.or.jp
私は、現在、千葉県立千葉養護学校に勤務しておりますが、一昨年、長期研修生で千葉特殊教育センターの指導をいただいて研究をしておりましたとき、センターの谷中先生と知り合い、障害者とコンピュータ利用教育研究会のことを聞きました。私も、未熟ながら、ホームページを出しました。もし、よろしければ、リンクを張りたいと思うのですが、許可していただけますでしょうか。個人のホームページですが、障害を持つ人の支援に携わるひとのページにでもなればと思っています。ページ事態は、まだまだですが。最近、本校でも私がインターネットでホームページを開いていることを知って、アクセスしてくださる人がでてきました。少しずつ、広がってきていますが、その啓蒙にでもなれば、そして、インターネットの利用が盛んになって、広く意見交換や情報が手に入ればと思っております。
●房総から
遠藤和弘 千葉県立安房養護学校 kazuend@awa.or.jp
ニフティのメール読みました。ありがとうございました。インターネットができるようになったので、MESのページを見せていただきます。まだ物珍しさが抜けきれず、あっちこっちのホームページを見ては感動しています。特に、福祉関係のページはチェックしています。アメリカの教育事情にも興味があります。いろいろ教えて下さい。若潮マラソンは、10キロがいいところみたいです。フルのコースの方が気持ちがいいのですが。
●滝野の田舎で
筱 更治 兵庫教育大学 shino@edu.hyogo-u.ac.jp
思わぬところで、お姿を拝見しまして、声をかけました。昼頃から、外出し、ビデオショップへ行き、食事のあと、滝野町の図書館で過ごしていました。そのあと公園を散歩していたのですが、先生が早足で歩いておいででしたので、思わず声をかけてしまいました。本を読んだり、キーボードを叩いていると運動不足は必至。先生から「ずっと歩いている」と伺って、なお驚いています。昨年の丁度今日ですが、中国・北京での長走(長距離の徒歩)に参加して、市内から明の十三稜まで21キロメートル歩いたイベントに出発したのです。あのときは、3時間と31分かかったと思います。真っ青な北京の空のもと、朝9時を合図に、500人ほどの老若男女が取り組んだのです。そういう体験から、やはり自分の四肢をしっかりと動かして、歩くということは、運動の基本のような気がしています。
以上11月の会報でした。次号をお楽しみに。