障害者とコンピュータ利用教育研究会 会報 NO 132
Mac Education Society for the Handicaped
  編集 成田 滋 兵庫教育大学 学校教育研究センター
  2001年11月1日


上月情報教育財団が研究助成
〜情報教育の振興と育成をめざして情報教育の推進に研究助成と顕彰をします〜
● 研究領域
 上月情報教育研究助成は、学校教育における情報教育に関する実践的な研究に対して助成と顕彰をしています。各教科や総合的な学習の時間、中学校の「情報とコンピュータ」、高等学校の「情報」における以下の領域について助 成します。
(1)「情報活用の実践力」の育成を目標にした実践と評価
(2)「情報の科学的な理解」の育成を目標にした実践と評価
(3)「情報社会に参画する態度」の育成を目標にした実践と評価
(4)情報教育に有効なシステムやソフトウェアの開発とその実践、評価
(5)その他情報教育の推進に関する研究・実践
 研究内容がこれらのどれに相当するかについて明確にすることが望ましいと思います。この観点からしますと、例えば、コンピュータを使った理科の実験や、インターネットを使った活動などだけの研究は、情報教育よりも教科教育に相当します。また、学校教育における情報教育を中心に考えておりますので、授業や子どもたちの主体的な活動によって、子どもたちがどのように変容したか等に重点をおいていただきたいと考えております。
●応募資格
 学校、中学校、高等学校、特殊教育諸学校の教員、教育委員会等の指導主事等に よって構成されるグループ、学校単位、団体、機関等。学校等の教員個人。(ただし、できるだけグループが望ましい。)大学等の関係者はアドバイザーとして入ることは差し支えないが、代表メンバーとなれない。
●応募期間
 平成13年11月1日〜12月15日(当日消印有効)
●提出期間
研究助成申請書・推薦書
 情報教育賞推薦書・申請書・研究歴・研究論文・その他作品等
●助成金・入賞金
 (団体・個人の区分有り)
 助成金200万円・100万円・50万円
 研究終了後、情報教育賞に応募できます。
 最優秀賞  200万円
 優秀賞   100万円
 優良賞    50万円
●審査方法 書類審査
●審査結果の発表 平成14年3月上旬
詳しくは http://www.kozuki-ite.or.jp/ 電話(03)3568-2345


■皆さんからのお便り

●お久しぶりです
 戸田幸子 東京都 y-toda@netjoy.ne.jp
 お元気でしょうか? すっかりご無沙汰しています。戸田幸子です。私の方は去年8月に男の子を出産して2児の母となりました。そして最近、私は注意欠陥障害があることがわかりました。きっかけは教育テレビの「今日の健康」です。ADHDについての内容だったのですが、その症状が娘にぴったり当てはまるのでAD(H)Dについて調べようと思いました。ところが、本を読んでいくうち、「あれ、自分にも当てはまるぞ」ということになり心療内科に。結局、私と夫と娘の3人がADDと診断されました。自分がADDだと分かると今までの色々なことに合点がいきます。たとえば、私は編集の仕事をしていますので、人の文章を直したり自分でも書いたりしていますが、書けるようになったのはワープロを使うようになってからです。それ以前は頭の中で文章をまとめることができないので、作文は大の苦手でした。その点ワープロなら、頭の中の断片的な言葉をとりあえず出しておいて、後から順番を入れ替えたり「てにをは」を足していって文章にすることができます。コンピュータに頼っているのはワープロだけではありません。名簿管理やスケジュール管理、ちょっとしたメモも紙でなくデータになっていないと不安でしょうがないのです。絵を描くのだって、定規を使っても真っ直ぐな線が引けなかった私にとって、グラフィックソフトは欠かせない道具です。
 私自身が自分の障害(僅かですが)をコンピュータに助けてもらっていたから「障害者とコンピュータ利用研究会」にも惹かれていたのですね…。来年度は娘が小学校へあがります。保育園ではなかなか皆と一緒に行動できないのですが、少しずつ社会に馴染んでいけるよう親子でがんばっていきます。また、今までは、生活だけで一杯一杯で余裕がなかったのですが、これからは会の活動にももう少し関わっていきたいと思っています。私たち家族と他の仲間のために。今後ともよろしくお願いいたします。
 
●退院
 宮野秀樹 兵庫県社町 miyanox@pop06.odn.ne.jp 
 宮野です。
 10月19日に急に体調を崩し、20日早朝に社病院で診察を受けたところ「急性気管支炎」と診断され緊急入院しました。病状としては初期の段階でしたので「早く治るのでは?」と楽観視していたのですが、26日に容体が急変、重度の肺炎のため肺内に痰がたまり呼吸困難に陥ったため、口から管を挿管し人工呼吸器による処置が施され、ICU(集中治療室)へ送られてしまいました。医者の見解によると、9月23日に発症した蜂窩織炎での入院の際に抗生物質を大量に投与したことによる「菌」への抵抗力の低下および体力の低下が、今回の重症を引き起こしたということでした。
 約一週間近く人工呼吸器をつけられた状態が続きましたが、11月5日にようやく集中治療室を出て一般病棟へ。しかし人工呼吸器をつけたことと10日間近くの絶食状態は、予想以上に身体に大きなダメージを残し、検査結果は良いはずなのに身体は“絶不調”という状態が続きました。14日になんとか病院を退院してきましたが、今は車いすに乗るのがやっとという状態です。体調回復には年内一杯かかりそうです。
 このような理由のため、先生からリクエストされていた「兵庫教育大学の遠隔学習/教授 実験プロジェクト」のレイアウト作成が、現在の状態では作成不可能です。たいへん申し訳ありません。現在の状態へのご理解をお願いしたいと思います。
HP http://www.sh.rim.or.jp/~crazydog/●マイタウンマップ・コンクールへの参加のお願い
 赤堀侃司 東京工業大学 akahori@ak.cradle.titech.ac.jp
 いつもお世話になって、ありがとうございます。すいません。宣伝ですが、以下のアナウンスがあります。このコンクールは、すべての大臣賞を出す大きなコンクールですのでもし心当たりがありましたら、どうぞ、宜しくお願いします。
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 地域情報をネットで競う「マイタウンマップ・コンクール」の作品を公募しております。このコンクールではパソコンを活用して、自分たちが住んでいる街や村の地域に関する情報、または学んだこと、あるいはグループで共同研究した成果など、つまり「生活地図」をホームページなどに仕上げ、応募していただくものです。作品のテーマは自由な発想や想像力を生かし、「生活情報」の範囲であれば制限はありません。ただし、インターネットで共有出来ることが条件になっています。以下、応募の詳しい情報があります。
 http://www.mytownmap.or.jp/
 マイタウンマップは今年で8回を迎えます。従前の大臣賞に加えて、本年度から総理大臣賞、外務大臣賞の授与が決定し、国内最大規模のコンクールに育っています。締切日は年末の13年12月31日です。表彰式は来年の3月9日を予定しております。多くの方がよい作品を寄せていただいておりますが、皆さん方からも、是非ともご参加をおすすめくださるように、お願申し上げます。
 
 
■投稿
●名刺とコンピューター ―なぜ、学校にコンピューターが広がらないのか―
 中川 淳 静岡理工科大学 akagawa.jyms@dream.com
 電話で、「中川ですが、、、」と話すと、決まって「どちらの中川さんですか」と、尋ねられます。ある意味で、個人よりも組織が前面に出ます。直接、出会うときも同じです。「○○社の△△です」、と挨拶し、確認と今後のために名刺を交換します。ところが、この慣習が成り立たない所があります。学校です。
 学校の教員は、「○○学校の△△です」とは言いますが、名刺は持っていないことが少なくありません。その辺の事情を知らない企業の方などは、学校を訪問して、失礼に思ったり、驚いたりで、雰囲気がまずくなることさえあります。
 私も大学卒業以来、四半世紀の間、高校、大学と教育現場を歩いてきた「学校人間」ですから、名刺が不要な事情はわかります。しかし、学校関係者以外の人と接触するには、名刺は欠かせません。名刺が不要なのは、教員が学校以外の社会との関わりが少ないことを表しています。
 学校が、学校以外の社会と関わりを持たないことの象徴が、もう一つあります。コンピューターです。効率を追求する社会にあっては、コンピューターは欠かせないモノになりました。どのオフィスを訪ねても、社員の机にはコンピューターが置かれています。扱えないといって、許される状況ではなくなりました。
 教育は、効率が必ずしも優先されません。教育にコンピューターが活用されない理由のひとつになっています。また、学校という職場もコンピューターを、それほど必要としません。授業を除けば、教員は、職員室にいます。名刺がいらないほどですから、学校外にいることは、ほとんどありません。LANで文書をやりとりするよりも、「おーい」と声をかけ、直接手渡したほうが速いのです。プレゼンテーションのための文書やグラフを作成し、持ち歩くビジネスマンと異なり、外部に文書を提示することも多くありませんから、手書きでも通用します。
 しかし、学校は、次世代を担う子どもを教育する責任があります。コンピューターを使えるように教育する責任があります。コンピューターによって、教科内容の理解が深まるならば、新しい教育機器として、使いこなす義務があります。
 学校にコンピューター室の設置も必要ですが、同時に、すべての教員の机にコンピューターを設置しなければ、学校の現状は変わりません。これをやらなければ、名刺と同様に、コンピューターは教員に不要なものになってしまいます。
 
■読書感想 「人生の価値」
 山平喜一郎 明石市 k-yamahr@psn.ne.jp
 山平です。久しぶりに読書案内です。著書名は「人生の価値」、サブタイトル「私たちは、どのように生きるべきか」著者は飯田史彦氏で出版社はPHP研究所となっています。障害や難病を持つチャレンジャーの方々、およびその方達の家族や友人に是非読んでいただきたい一冊です。特に和中さんに読んでいただきたいという思いが強いので、以下に概要を2種類の方法で述べます。
1.目次
第1章 人生をどうとらえるべきか
 第1節 人生という名の学校
 第2節 「生きがい」とは何か
 第3節 ブレークスルー思考で生きる
 第4節 人生を変える方法
第2章 人生を終えるということ
 第1節 「死ぬ」という体験
 第2節 家族たちを見守る
第3章  自分と向き合うということ
 第1節 人生を自己評価する
 第2節 また生まれる決断をする
 第3節 人生を計画する
第4章 愛するということ
 第1節 ソウルメイトたちとの協力
 第2節 自分を愛することへの挑戦
 第3節 究極の愛を追求
第5章 人生を始めるということ
 第1節 最適な親を選択
 第2節 新たな人生へ
第6章 人生において大切なこと
 第1節 すべてのことには意味がある
 第2節 自分に解けない問題はない
 第3節 思い通りにならないからこそ価値がある
 第4節 「苦痛と快楽」から「試練と悦楽」へ
 第5節 今、この瞬間を生きる
 第6節 最後まで生き抜く
2.本文からの引用
第1章;
・人生とは、さまざまなものを学ぶための機会、つまり「学校」のようなものです。学校では、ふだんは色々な知識を学び、時々、自分の成長度を調べるため
 の試験がやってきます。
・「生きがい」とは、自分という人間の存在価値の認識から生じる、「より価値ある人生を創造しようとする意志」のことをいう。
・ブレークスルー思考とは、「すべてのものごとには意味と価値があり、表面的には失敗・挫折・不運のように見えることも、すべて自分の成長のために用意されている順調な試練である」という信念を持つことによって、「その試練に挑戦するだけで、もう乗り越えたのと同じくらいの価値がある」と考えながら、人生のあらゆる試練を楽しみながら乗り越えていこうとする思考法である。
第2章;
・父の言葉を目前で生々しく耳にして、「死」=「喪失・絶望」という固定観念が、見事に崩れ去ったのです。なぜなら、死という現象は、ひとつの人生の終わりであるのと同じに、ひと時の休息と、新たな人生の始まりでもあるからです。
第3章
・肉体的な死によって、本来の意識体の姿に戻り、先立っていた縁のある意識体たちと再会・和解したあと、私たちは、いちだんとまぶしく輝く光(指導役の存在)に迎えられます。そして、いま終えてきたばかりの人生を、まるで映画のように見せられて、自分自身で評価・反省するように、うながされるのです。
・「人生は自己評価である」ということが、実は重要な意味を持っています。それは、「人生は自分で計画するものであり、人生で出会うさまざまな試験問題を出題するのは自分自身である」という仕組みがあるからこそ、その採点・評価も自分で行うべきなのだということになるからです。
・この証言は、人生という学びの機会を通じて、「因果関係の法則」が働いていることを示しています。つまり、「自分が誰かを傷つけると、いつか必ず、自分も誰かから同じくらい傷つけられ、逆に自分が誰かを助けてあげると、いつか必ず、自分も誰かから同じように助けてもらえる」、という法則です。
・生きていれば、それが愛の証明だ。
・たとえ地位や名声などの外部評価とは無縁の地味な生活だったとしても、自分自身で「愛を実践できた」と納得することができれば、大いに価値ある人生だったと言えるのです。
・この統計データは、「生まれてくる大きな理由は、物質世界に身を置いて自分を成長させるためである」ということ、そして「物質世界で人間として生きることは、必ずしも楽しいだけの経験ではなく、むしろ厳しく辛い環境のなかで成長することに目的がある」ということを、暗黙のうちに示している。
・人生では、「自分で状況を変えようと努力する」ということと同じくらいに、「与えられた状況に抵抗せず、素直に受け入れる」ということも必要であるようです。
長くなりましたので、第4章以降は次回といたします。
第4章;
・「ソウルメイト」とは「何度もの人生を身近に生まれて、お互いの成長をうながすために貴重な役割を果たし合う関係にある意識体たち」のことをいいます。
・「お前は娘、娘はお前なのだ」、「娘はお前の鏡なのだ」
・その体験から何を学んで、より創造的な人生を送るために、どう生かしていくかということが、人生を終えた際の自己評価の基準になるわけです。
・結婚そのものが成功であったり失敗であったりするのではなく、結婚によって何を学んでいるのか、そしてその学びを、未来のためにどのように生かそうとしているのかということが、人生という名の学校では問われるわけです。
・人生というのは、ほんの一瞬である・・・・・その中で、何を学んで、何を苦しんで何をすべきか、いつも課題を持って生きていく
・人生が、「愛すること」に挑戦する機会だとすれば、その愛の対象は、他人だけでもなく自分でもあるはずです。
・そして、自分を愛することに挑戦するための手段のひとつが、「病気になる」「大けがをする」「ハンディキャップ(障害)を持つ」といった、自分が宿っている肉体に機能的な試練を与えることです。肉体的な機能の一部に何らかの試練を与えることにより、「そのような肉体を持って生活する自分を、それでも愛せるのか」という高度な問題に直面することができ、「だからこそ、この肉体を愛するのだ」という、究極の自己愛に挑戦するのです。
・さらに、病気やハンディキャップなどの肉体的試練を持つ人の家族や友人にとっては、「そのような肉体を持って生活する人を、だからこそ充分に愛する」という、究極の家族愛・友人愛に挑戦する機会を与えてもらえることになります。
・また、両親となる夫婦の方が、「病気やハンディキャップを持つ子供を育てることによって、大いに自分たちの愛のレベルを高め、飛躍的に成長したい」と願うこともあります。そのような場合には、その高度な挑戦に協力してくれる勇気ある意識体を探し、子供として生まれてきてくれるよう依頼します。
・「家族も、愛を学ぶという同じ目的のために、あなたと同じ家に生まれてきたのです」
・つまり、重い病気やハンディキャップを持ちながら生きる人は、決して「運の悪い人」ではなく、しばしば誤解されるように、「過去生で悪いことをした報いを受けている人」でもありません。なぜなら、意識体として自分が宿る肉体そのものに試練を与えながら生きるというのは、この物質世界で人間として生きるうえで最も困難な挑戦課題のひとつであるため、それほどの試練に挑戦するに値する、よほど発達した意識体のみに、そのチャンスが与えられるはずだからです。したがって、重い病気やハンディキャップを持つという高度な試練に挑戦している人は、人間としての卒業試験を受けたり、卒業論文を書いているような、それほどの学びを積んだすばらしい人であり、勇気あるチャレンジャーなのです。
・このような人間観をもとにして、現在欧米では、これほど勇気ある人々を「病人」や「障害者」と呼ぶのは止めて、「チャレンジング・パーソン」(挑戦者)と呼ぶ習慣が広がりつつあります。この言葉には、「それほどの高度な試練に挑戦している、素晴ら
しい人々」という、尊敬の念が込められているのです。
・「どうして私は、そうまでして強くならなくてはいけなかったんですか?」「人に優しくできるようになるためだ」
・「お前は、病を知ることによって、幸せの意味を学ぶのだ」
・私たちは、時には病を知ることによって、幸せの意味を学んでいるのです。このような人生観を持つことにより、これまでは「嫌なもの」「不運なもの」「不幸をもたらすもの」としてのみとらえていた病気やハンディキャップに対して、深い意味や価値を与えることができるようになります。
・恋とは、相手が持つ所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性)に価値を感じて一時的に高揚する、「相手に受容されたり相手を支配することによって、相手と一体化したい」という感情である。愛とは、・・・・・相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
・「愛」のエネルギー源は、「自分という人間がいかに価値ある存在なのかという認識」と、「価値ある存在としてもっと成長したいという意欲」という二つです。
・愛は、実際の言動として現実化させる努力をしてこそ価値を生むのであり、ただ待っているだけで発揮しないのでは、愛とは呼べないのです。
・「厳しさも優しさのうちなのだ」
・「愛」は「決断、意志、能力に支えられた行為」です。「恋」とは違って、単なる「感情」ではありません。
・私たちは、このような愛の実行に挑戦するために、人生という修行の場に生まれてくるのです。この人生という問題集には、愛の実行を阻害するあらゆる試練が用意されているからです。
・「愛」について学ぶということは、「成功すること」ではなく「挑戦すること」だと言えるでしょう。
第5章;
・「僕の選んだ夫婦には、特別に引かれるものがあったからさ。他の人たちも悪くはなかったけど、断然こっちがよかったんだよ」
・「この夫婦のもとに生まれていけば、幸せになれるだろう」という判断にもとづいて親を選んでいます。つまり、「最も自分に喜びを与えてくれるであろう夫婦は誰か」ということが、親を選ぶ基準になっているのです。
・この時の両親が、「自分の成長のために最適な試練を与えてくれるであろう夫婦は誰か」という条件によって選び出されている。
・また、逆に見ると、親の方は、「どうしてこの子は、自分を親として選んでくれたのだろう」と、感謝の念を抱きながら自問することが大切です。その子は、ほかの数多くの夫婦たちと比較検討したうえで、自分たち夫婦を親として選んでくれたのです。
・幸せは、自分ひとりで感じていても、幸せではないのだ。
・自分が本当に幸せになるためには、自分以外のあらゆる存在と一緒に幸せにならなければいけないのです。みながつながっている限り、自分だけが幸せになるという現象は、決してありえません。
第6章;
・すべてのことには意味がある
・人生というのは、「自分が自分に与えた最適な問題集」です。つまり、「人生では、まず求められる価値(学ぶべき課題)が存在し、その価値を身に付けるために最適な現象(喜びや試練などの経験)が生じてくる」というわけです。
・自分に解けない問題はない
・「意識体として成長していくにつれて、もっと強くなり、もっと精神性を高め、もっと成長することができるような試練を自分に与えようとするため、人生がしだいに難度の高いものになっていく」
・人生というものが、「自分の成長度に応じた、ほど良い難しさ」になるよう設計される。
・私たちは、それぞれの学びの計画に応じて、その人生で経験すべき試練や喜びの種類を決め、適度なレベルの挑戦になるよう調整してから生まれてきます。
・最終段階にある意識体(いわば卒業生)は、まるで卒業試験や卒業論文のような、もっとも過酷な試練を自分に与えながら生きることに挑戦します。
・人生では、自分に解けない問題は、何ひとつ用意してありません。人生で出会う大きな試練は、自分で自分に与えたのですから、手を伸ばせば必ず届く、ちょうど良いレベルの問題ばかりです。
・どうか、それほど困難な問題に挑戦している自分に誇りを持って、自分ならば絶対に解けるのだという信念を忘れずに、その問題に挑戦して下さいね。
・私たちは、なぜ生まれてくるのか・・・・・・それは生まれて来なければ経験できない貴重な学びの機会があるからこそ生まれて来るのであり、その機会、たとえば「死」や「病気」や「人間関係」などに代表される、「思い通りにならないこと」を通じて学ぶことこそが、人間として生きる目的・意義・意味なのだと言えるでしょう。
・人生とは「成長のための機会」であり、「試練と悦楽が織り成す万華鏡」であると考えることが大切です。なぜ「万華鏡」なのかと言えば、その人の人生観によって、人生は、楽しくなったり苦しくなったりと、どのような心象にでも変化するからです。人生をとらえる角度を変えてみると、人生で起きる喜怒哀楽が、まったく違う情景として見えてくることも、少なくありません。
・「私たちの正体(本来の姿)は成長したいと願っている意識体たちである」
・「どのような試練に直面しても、その試練に挑戦している自分の姿を楽しみながら生きなさい」
・「自分ができることで、人さまに喜んでもらえるような仕事を見つけなさい」
・人さまに喜んでもらえるような何かに打ち込むことによって、人生が、より有意義なものになる。
・奉仕(エネルギーを与えると同時に、相手からも与えてもらうこと)となるような活動を心がけることによって、大いに楽しみながら生きることが求められます。人間関係というのは「エネルギーの交換関係」でもあるため、お互いにエネルギーを与え合えるとうな行為、つまりお互いを喜ばせ合うような行為を心がけることが、人生を楽しく生きるための基本原則だと言えるでしょう。
・分かれ道で迷った時には、「より成長できる方法はどちらだろうか」という基準で選ぶようにすることが、結果的に将来の自分に豊かな喜びをもたらしてくれる
・人生は「贈り物」。自分が自分に与えた贈り物。「なぜ、自分は自分に、このような人生計画をプレゼントして生まれてきたのだろうか?」と自問してみることが、人生の価値を高める。
エピローグ;
・考えることが、人間として生きる私たちの努めなのです。
おわりに;
・「人生、一寸先は光!」
 以上です。興味ある言葉に巡り会えましたら、是非原本をお読み下さい。また氏のホームページ http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/ では大学教授として本に書きにくいようなことも含めて、最新の情報を見ることができます。興味を持たれた方はご覧下さい。

全日本教育工学研究大会-富山大学でお会いした会員
 神奈川県立平塚養護学校 米波 弘さん
 兵庫教育大学大学院生 田中敦夫さん