障害者とコンピュータ利用教育研究会

1999年1月会報 NO. 102  Mac Education Society(MES)

編集 西谷 淳 猶原秀明 丹羽 登、 村川佳子、渡部親司、岩井宏氏
監修 成田 滋

PDF版の会報(105K)はこちらです。お読みになるにはAcrobatReader日本語版が必要です。どうかダウンロードしてください。また、コンピュータ関連の雑誌についているCD-ROMには、無料のAcrobatReader日本語版がついています。これをハードディスクにインストールすることをお勧めします。


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〒673-1421兵庫県加東郡社町山国2007
  兵庫教育大学 学校教育研究センター
  naritas@ceser.hyogo-u.ac.jp
  Fax 0795-40-2203

■ 目次 ■

 

99年MES北陸例会 In Kanazawaへのお誘い

MES自作教材集CD-ROM98をお使いください

最近読んだ自閉症に関する本

論壇 個性のある学校作りと教師の力量形成に個別の指導計画は役立つ

資料 生徒が習得すべきテクノロジー活用能力の一覧表

パソコンバンクのコーナー

皆さんからのお便り

■99年MES北陸例会 In Kanazawaへのお誘い

 毎年恒例になりましたMES北陸例会も今回で第5回を数えることとなりました。こ れまで毎回七尾養護学校で行っておりましたが、交通のアクセス、冬の例会では毎 度大雪にみまわれる等々の理由から、今回は場所を金沢へと移して行うこととなり ました。毎回和倉温泉を楽しみにされている方も多くおられ、少々心苦しく思われ ますが、いつも大好評である北陸の取れたてのカニとブリは今回もご用意いたしますので、ぜひご参加ください。このカニとブリだけを楽しみに参加する方が、兵教大にいらっしいます。(^^;) 多数の参加をお持ちしております。


●期 日:平成11年1月23日(土)13:00から 

●会 場:金沢大学教育学部附属養護学校 すずかけの家(宿泊含む)

     【住 所】920-0933 石川県金沢市東兼六町2−10

     【電 話】076-263-5551【Fax】076-264-2275

●幹 事:金沢大学教育学部附属養護学校 島田勝浩

     石川県立医王養護学校 川井久也

●プログラム:23日(土)

         13:00 受け付け

         13:30 開会

         17:00 移動 懇親会

         19:00  すずかけの家にて懇親会

●内 容(予定) 

   ・MES CD-ROM'98の紹介

   ・七尾地区におけるネットワークを利用した学校間交流について

   ・テクノロジィを利用した肢体不自由児おけるコミュニケーションエイド

   ・Speaking Dynamically Proの使い方と教材の作り方

   ・簡単な自作教材制作講習

   ・企業からのプレゼン などなどです。

ご希望の方は、宿泊の有無を明記して、下記申込用紙に記入の上、1月16日(土) までにFaxやE-mailなどで「川井」までお申し込み下さい(宿泊の準備がありますの で、よろしくお願いします)。当日の宿泊費は、1泊2食付きで8,000円程度、また当日のみの参加費として若干集めさせていただくことになると思います。食材などの差し入れは大歓迎です。
●【問い合わせ先および申し込み送付先】
〒920-0171 石川県金沢市岩出町ホ1番
TEL 076-257-0572 FAX 076-257-2417
石川県立医王養護学校 「川井」hisaya@po2.nsknet.or.jp
まで

■MES自作教材集CD-ROM98をお使いください

 MESでは自作教材の普及につとめています。子どもたちのニーズに応じた自作教材は市販のものと違う良さがあります。教材作りには、個々の作成は多大の時間と努力が傾注して作っています。MESでは例会の場で教材制作の研修や合評を行い、その普及につとめています。
 このたび、MESでは自作教材ソフトウェアを集めた「MES自作教材集CD-ROM98」をMESの研究紀要として位置付け発刊しました。教育利用・非商用とさせていただいておりますが、その配布に関しては送料と制作費の一部を協力金としてご負担いただくことをお願いしております。
 この自作教材集CD-ROM98のお申し込みは、滋賀大学教育学部附属養護学校の大杉成喜教諭まで氏名、住所を銘記してお願いします。代金はCD-ROMに同封する郵便振替でお願いしてあります。

■最近読んだ自閉症に関する本

 山平 喜一郎 明石市 k-yamahr@psn.ne.jp
 最近読んだ自閉症に関する本を紹介します。まず一冊目は、「親が見て肌で感じたアメリカ障害児教育の魅力」です。MESの会報にもよく記事が出ていました佐藤ご夫妻が書かれた本です。先日、東京駅でディズニーランドに遊びに行っていた長女と待ち合わせた際、少し時間があったので駅前の八重洲ブックセンターに立ち寄りましたら、目に入りましたので即購入しました。
 序文の1ページ目に「東京ディズニーランドでもきっとホワイトカードがあるはずだ」という文章が出てきます。ホワイトカードとは「知的障害をもつ人や自閉症の人たちが優先して乗り物に乗ったり、会場に入れるようにするカード」だそうです。  残念ながら東京ディズニーランドにはないそうですが、アメリカのディズニーランドや他の遊戯施設では同様のカードがあるとのこと、このことがまさにアメリカ障害児教育の魅力を象徴しています。
 ウィスコンシン大学に客員研究員として招聘された佐藤裕氏が家族とともに米国に旅立つところから話が始まります。重度の自閉症と診断されている長男の哲平君(11才)も同行しています。16時間に及ぶ飛行時間とその後1年間の米国生活での実体験をまとめた貴重なレポートです。これはもう大冒険旅行というべきでしょう。
 そのなかでアメリカの障害児教育のすばらしさとその根底にある「障害児教育の目的は、障害のある子どもとその家族の幸せにある」という理念、画期的な法律「障害をもつアメリカ人法(ADA)」が紹介されています。
 アメリカ国民ではない一時的な滞在者に、そのすばらしい障害児教育が適用されるところにアメリカの懐の広さを感じさせます。また障害児ひとり一人の個性や発達程度を十分に考慮した教育システム、保護者の意見を取り入れた教育方針の決定等、日本の現状から見ればため息が出そうなアメリカ障害児教育の魅力が述べられています。
 どうしたら日本でもそのような理想的な障害児教育システムが実現できるのか考えたくなる内容です。障害児教育に充当する予算は日米であまり差はないそうですが、その内訳や教育システムを支えるボランティア活動、人権に対する法的裏付けや社会的な認識等を比較検討して、理想的なシステムの実現を目指して行くべきでしょう。とのかくこの本を読むと障害者やその家族が社会の中で自信を持って生きよう、生きていけるのだという気持ちになります。実際にそれが実現している社会が地球上にあるのですから。
 佐藤さんの言葉を引用しますと、「なにが『心地よい』のかというと障害者を見る一般の人々の目であり、障害者を取り巻く充実した援助システムであり、尊重される本人や親の意志であり、障害児の母である私は子どもの介護者ではなく、子どもの教育監督者として誇りを持てることである。」
 但し、この本を読んで「アメリカの障害児教育はすばらしい」と思い込んで、直ちにアメリカに飛んで行くのは考えものです。まず佐藤さん自身がまえがきで以下のように書いています。「米国は行政的にも文化的にも州の独自性が強いため、州が異なれば事情も変わる。だからこの本で紹介する私たちのローカルな経験を米国体験という言葉でくくるのは、間違いなのかもしれない。」智美が通う神大附属養護の先輩でアメリカに渡った人のコメント「障害児はアメリカの中の日本人社会にうとまれた。」また、次回紹介するアメリカの自閉症児の母親はアメリカの障害児教育に見切りをつけ、日本から進出している学校に転校させています。
 最後に、佐藤ご夫妻はインターネットのホームページを開いておられます。帰国後の様子、取り組み、そして自閉症について分かりやすい説明があります。難しい本を読むよりこのホームページを見る方が、自閉症についてよく理解でき、どうするべきかも明らかになると思います。興味のある方は、http://www.execpc.com/~ysato/でどうぞ。「親が見て肌で感じたアメリカ障害児教育の魅力」の著者は佐藤恵利子・佐藤裕、出版社は学苑社、1400円です。

「永遠の子供」
 その2として紹介しますのは「永遠の子供」、エイドリアナ・ローシャ&クリスティ・ジョルディ著、塩原通緒訳、角川書店、1900円です。エイドリアナは1981年生まれの自閉症の女の子、クリスティはその母親で、エイドリアナ財団の創設者で理事。彼女はボストン大学で社会福祉の修士号を取得した非常に活動的な女性で、島田さんのイメージに似ています。
 第一章は1981年4月、薬局に寄って妊娠検査薬を買うところから始まります。その後結婚して、長女エイドリアナを出産。成長するにしたがって、他の子供との違いが明らかになってきます。不安になって小児科医に聞いても、心配する必要はないという。それでも徐々に異常が明らかになり、紹介してもらった精神分析医の診断が「親子関係に問題あり」。クリスティは打ちのめされます。「この診断はまるで死刑宣告だった。」
 3歳のときには、急傾斜の瓦屋根の上に座っていたり、高いフェンスを乗り越えて隣家に入り、服を着たままプールで泳いでいたりと親にとって冷静でいられないような事件が起きます。4歳になって、ちょっとした偶然も手伝って、やっと自閉症という診断が下ります。母親は自閉症児を対象としたプログラムを探すけれども、診断を下した専門医も心当たりがないと言います。
 自閉症関係の本を読み、参考文献を調べて、全米自閉症協会の年次会議に夫婦で出席し、言語認知開発センター(LCDC)プログラムを知ります。LCDCのプログラムに参加させるために一家はボストンに移り、エイドリはLCDCに通い始めます。エイドリの両親はそこでの教育に満足せず、両親は日本にある武蔵野東学園を訪問し、感動します。
 ここで両親は二つの財団を設立します。ひとつはKIDS(Kids In Disadvantaged Situations)協会、福祉を受けながら自立を目指す母子家庭のために住居を提供し、教育の援助を行うことを目的にしています。もうひとつはエイドリアナ協会、自閉症患者やその家族が利用できる全国的な情報センターです。
 そうこうしているうちに、長男、次女が誕生。エイドリはLCDCの教育に行き詰まったので、両親はエイドリを武蔵野東学園がボストンに開校した東スクールに転校させさせます。そこでの日本流のグループ教育(アメリカで一般的なマンツーマン方式ではない)の成果に感動し、「半年間でいくつもの奇蹟を経験することになった。」と述べています。
 ここまでは洋の東西を問わず、障害児を真剣に育てた親なら類似の体験を持っていると思います。その意味ではこの一家に近親感を感じました。しかし、この先が非常に稀な展開となります。そしてそれは障害児の存在理由や人類が何を目指して生きていくべきかといった哲学的なテーマに入って行きます。しかも学歴のある活動的な母親が自閉症の娘に教育されながら(逆ではありません)、心を開き成長して行くのです。
 そのコミュニケーションの方法はファシリテーティッド・コミュニケーション( Facilitated Communication, FC)と呼ばれるタイプライターを介した、非常に根気のいる方法なのですが、この方法でエイドリは10年間閉ざされていた内面世界を伝え始めたのです。驚くべきことに、その内容は非常に高度なもので、悟りを開いた人が語るような内容です。神からのメッセージともいうべき内容です。
 智美は自閉症ではありませんで、横浜の病院ではキャットクライ(5Pマイナスという染色体異常)と診断されました。医学書を見ますと症例が少なく、障害の程度は健常児と変わらないものから重度まで幅広いとあります。神戸大学附属病院では染色体異常はないとの診断でした。結局医学的には何も判らないというに等しいのですが、ある種の自閉症と同じように、うまく自己を表現できない面があるようです。どんな方法でもよいから内面にあるものを引き出してやりたいと思っています。彼女がパソコンに熱心に取り組んでいるのは、内面にあるものを自ら表出する練習をしているのかも知れないと思ったりもします。
 私自身が智美に教育されているという感じを以前から持っておりました。その意味では、エイドリの母親であるクリスティと全く同じ気持ちです。最後に「読者への手紙」という文章があり、二人の住所が出ています。その後どのように展開しているのか気になるところですので、手紙を出してみようと思っています。

■論壇

個性のある学校作りと教師の力量形成に個別の指導計画は役立つ
 成田 滋 兵庫教育大学 naritas@ceser.hyogo-u.ac.jp

I. はじめに

時代の変化が激しい今日、これからの学校改革にはマクロとミクロの観点からの見方が必要である。明治以来、学校は営々としてあまり変わらないといわれる。その理由の一つは、明治から今日まで官尊民卑の思想が教育界に続いているからである。
「官」の態度とは、「民」に対抗するものという思考法がある。情報開示もしかり、いじめもしかり、重大な民の問題が起こると、我が国の教育委員会は、これをどう思考しどう始末するかわからず、一種の痴呆状態になる。その理由は、「民」を納得させるような思考法が伝統してないか、きわめて乏しいことによる。
 確かに戦前と戦後では教育内容が大きく変わった。この変化の要因は、占領軍の政策という外圧によるものが大きかった。そして50年以上たった今日、学校を変える環境が生まれている。学校が自主性や自律性を持つこと、学校が自己責任で運営しようということ、学校の裁量を高め校長の役割を強化しようという提言が1998年9月に中央教育審議会より出されている。この答申は、「今後の地方教育行政の在り方について」ど題するものである。 50年間いわば眠っていた学校を呼び覚ます黒船のようなインパクトを持つと考えられる。
 教育の改革は、学校が変わることで大きく前進する。答申は、これまでの学校運営のあり方を反省し、学校の自主性・自律性の確立のために学校裁量権限の拡大の必要性を指摘している。その答申の中で注目すべきは、『子どもの個性を伸ばし、地域に開かれた特色ある学校づくりを実現するためには、校長が、自らの教育理念や教育方針に基づき、各学校において地域の状況等に応じて、特色ある教育課程を編成するなど自主的・自律的な学校運営を行うことが必要である。』として、校長の役割を重視している点である。
 養護学校などは、2002年から新しい指導要領の導入やネットワークの接続を控えて、新しい学校経営を要求されている。特に個別の指導計画を個々の生徒に作成することにより、教育成果と指導責任を重視する「アカウンタビリティ」の考え方が広まると考えられる。アカウンタビリティの考え方は、以下のように、学校の自主性や自律性、そしてそれに伴う自己責任の原則を意味することである。

1) 「学校の自主性・自律性の確立」
 今日の学校は、教育委員会や学校の職員会議、組合、校長の権限が錯綜し、一体だれがどのような責任をとっているのかがあまり見えてこない。校長は教育委員会の伺いを立て、職員会議の決定に振り回され、いわば両者の板ばさみになっている。それに校長は任期が短く、退職前とあるので思い切った学校運営をしたがらない傾向がある。つつがなく問題を起こさないで退職したいと願っている。このような痴呆状態のような校長に学校改革を期待するのは酷である。学校の自主性と自律性は校長を頂点とする決定の仕組みを確立することである。
 しかし、学校はそれにふさわしい責任を果たしていない。今、学校現場は、受験競争・非行・暴力・いじめ・不登校など多くの難問を抱え、出口の見えない袋小路に追いつめられている。何年も前から改革の必要性を指摘されながら、学校は小手先の対応でごまかしてきた。そのツケが今まわっている。誰もが、我が子を荒れた学校に通わせたくはない、できるだけより良い教育を受け健やかに成長させたいと望むが、現実には何もできない無力感の中でいらだちだけを感じている。そのような実情を反映して、1997年度の教職員で休職した者は4,141名となっている。そのうち精神性疾患で休職しているのは、1,609名とある。この数は、過去最高だった前年度に比べ、16.2%の上昇だという。今の学校には、組織に適応できない教職員が増えている。

2) 「学校の自己責任の確立」
 学校運営では、許可・承認・届け出・報告等について詳細に教育委員会の関与を規定されており、その自主性を制約されている。どの学校も、大きな権限を持たされず、自分で判断できず、そのため責任のない組織なのである。  学校の自己責任とは、教育の信託を受けた学校が親と子どもが望む教育サービスを提供できるかということである。そのために、指導能力を主として管理者がどの程度有しているかが大事である。学校は自己責任において学校を運営するのであるから、当然学校の特色が生まれねばならない。学校独自のカラーを打ち出し、地域社会にも親にも誇れる学校教育活動をすべきである。
 いかなる組織でも、最高意志決定者が必要である。学校は多様なメンバーの集まりであるから、なんらかの意思決定のルールが必要である。ただ、学校などの組織の運営は、いくら話し合っても結論がでないことが多い。これが最終的な決断を下す者を会則で定める理由である。このことは学校運営においても同様のはずであるが、これまでの学校は、最高意志決定者が校長なのか職員会議なのか教育委員会なのか、その存在が曖昧になっていた。つまり責任が曖昧な組織であった。このような組織では、学校の自己責任はまとうできない。

3) 「学校の裁量権の拡大と校長の役割」
 学校の裁量権の拡大とは、校長の役割の拡大ということである。最高意志決定者である校長が先頭に立って、学校の改革や改善にリーダーシップを発揮することが求められている。
 最高意志決定者という耳慣れない言葉の類は、アメリカの企業ではしばしば使われている。いわゆるアメリカ企業におけるCEO(Chief Executive Officer =最高経営責任者)は、大きな権限と十分な報酬を与えられている。その反面、経営の過失に対し場合によっては株主代表訴訟によって莫大な賠償金を請求される厳しい立場にある。権限と責任は両輪を成している。中央教育審議会の答申は、慎重な言い回しではあるが、校長に最高意志決定者として権限を与えている。当然、校長は学校運営に対し相応の責任を負う立場になる。権限を持つ者が責任を負うというはっきりした図式ができあがる。
 危惧されるのは、校長にふさわしい人物を登用できるかという点である。日教組の中央執行委員長は、次のように指摘している。「学校長などに適材を確保する必要性はあるとしても、問題は、日本の学校における学校長のリーダーシップにある。どちらかといえば日本の管埋職は、管理・運営に関しては重視するものの、教育的・文化的リーダーシップに乏しい。答申内容にとどまることなく、スクールリーダーとしての資質の向上を求めたい。また、管理職人事に関して、その透明化をはかることは重要であり、人事行政の見直しを強く求める。」

II. 個別の指導計画

 2002年から導入される改訂指導要領では、生徒一人ひとりの指導計画が作られる。よりきめの細かい計画をたてて、指導の成果をあげようとする意図がある。指導計画作りの総責任者は校長となる。校長の権限で、個々の生徒に対して「個別の指導計画委員会」のようなものが校内に設置される。この委員会には、親の酸化が義務付けられ、生徒の教育ニーズによっては、教師以外の専門性を有する人的資源の参加も考えられる。教師の恣意的な判断で委員会の構成や運営は許されない。  個別の指導計画は、校長の権限で実施され評価される。校長は、指導計画から評価までの過程を十分に熟知し、子どもの成長にとってもっともふさわしい教育が実施されるような指導性を発揮せねばならない。

1) 教育サービスの発想の転換
 学校教育はサービスであるという考え方をさいようすべき時代がきている。これまで、公教育に関しては、サービスを受ける者は選択の余地がなかった。つまり、「なにかをやってあげましょう」という看板を掲げれば消費者である親は学校にきた。義務教育のせいもあるが、親は教育の種類や質を選ぶことができなかった。サービスは、選べることが大事である。そのことによってサービスの提供者は、色々な工夫をして消費者を獲得できる。学校教育も市場原理を導入し、教育サービスの向上につとめる時期がきている。
 これからは、学校は親に対して、「なにを望みますか」ということにもっと敏感であるべきである。それによって親が主張し選べる「教育商品」を吟味するのである。これからの「教育商品」の最たるものは個別の指導計画となる。

2) サービスと企業の例から
教育商品を語るとき、参考になるのは企業の商品についての考え方である。その例をトヨタとくろねこヤマトを参考にしてみる。
 「トヨタ」の場合は、この数年の供給過剰による生産計画の基本を変更することを余儀なくされている。そこで消費者の好みに合致した車を生産している。消費者の嗜好の変化を取り入れた生産方式を 「カスタマーイン」と呼んでいる。これは消費者の好みと希望価格を考慮してオプションを選択できるようにしたものである。さらに一日で車検手続きができるようにして、車検費用と日数を減らし消費者をとらえようとしている。
 一方、「くろねこヤマト」の場合は、「お客様のわがままをききます」とか、「いつでも配達します」というように、徹底して利用者本位のサービスに徹底していることである。企業はこのように消費者がどのようなサービスを望んでいるかを調べ、消費者が選べる商品を用意することで客をつかんでいる。このような努力なしには、企業として生き残れないことを知っている。教育はこの企業精神から何を学ぶかである。

3) 個別の指導計画とは
   個別の指導計画は、単なるフォームや指導案ではない。教師の中には、個別の指導計画は自分で作って実施していると主張する者もいる。しかし、こうした個別の教師の手による指導計画は、本来個別指導計画が包含する計画設計の大綱にはそぐわないものといわねばならない。個別の指導計画の本質は、個々の教師が指導する生徒一人一人の計画を作るというものではない。その計画は次のような要件を満たしているかである。

(1) 親が望む教育サービスである
 個別の指導計画には親の希望や意見が反映されねばならない。教師が勝手に一人で作るような性質のものではないのである。親の教育ニーズに耳を傾け、計画作りで話し合い、指導した後の成果や計画の変更などのための評価を親を交えて行うという過程が重要である。指導計画は企業でいう商品でありサービスである。つまり消費者である親の要望が反映され、親が選択できるものである。

(2) 共同で作成する
 個別の指導計画は、生徒のニーズにそって指導する複数の教師と親が共同で作るものである。生徒の指導には部や教科を超えて、生徒のニーズに合う最も相応しい人的な資源を活用することになる。しかして、指導計画もそうした教師たちが参加して作成することになる。これまでのように、計画作りの過程により、担任一人が一人の生徒を「囲い込んだり」や「占有すること」がなくなる。複数の教師が指導にかかわることによって、教師の専門性が活かせることになる。いわば、初等部も高等部の教師も一緒に指導することになる。当然、指導の形態は、一対一や集団の指導となる。

(3) 教育の成果を重視される
 個別の指導計画は、どのような成果をあげたかという評価を伴う。計画の変更や修正は、この成果との対比において行われる。極端にいえば、どのような計画を作っても成果が上がらなければなにもならないということになる。評価の結果は、親や教育委員会へ報告され、その後の予定を明確にしておく必要がある。

(4) 目標や目的は測定しうること
 個別の指導計画は、年間や月間目標が細かく設定される。なにをどのように指導し、どのような成果を期待するかが謳われる。目標の設定は応用行動分析の手法を用いて、測定しうるような表記を使うことが義務付けられる。曖昧な目標行動の設定は許されない。

(5) 個別の指導計画とコーディネータ
 個別の指導計画の策定や評価には、個々の生徒についてコーディネータが決められる。コーディネータは、校長や担当教師がなる場合もあろう。コーディネータの役割は広範囲にわたる。親との連絡、委員の構成、計画づくりと委員会の召集、評価など全般にわたる。コーディネータは個々の個々の生徒について担当が決められる。評価手続きを親に告知することもコーディネータの役割となる。

(6) 生徒情報はデータベース化される
 生徒の個別の指導計画や実施状況、評価の情報はデジタル化されて、蓄積され共有されねばならない。情報は死蔵されないことが重要である。もし、指導案が個々の教師で作られるならば、情報の死蔵は容易に起こり得る。他の教師はその生徒の情報にアクセスすることが困難であるからである。個別の指導計画は本来、関係者の間で共有され、参照されるということが原則であるから当然データベース化され、定期的に更新されたり修正されることが義務付けられるべきものである。コーディネータは情報の更新や管理に責任を負うことになる。個別の指導計画に関する情報は、学校内はもちろん、他の学校との共有も視野に入れなければならない。教師は、計画を策定するにあたり、関連する資料を検索し、活用するという作業をする上で、他の学校の資料を参照するのは有意義だからである。

(7) 情報の共有とテクノロジーの利用
 個別の指導計画が徹底されるとき、それを実質的に有効なものにするには、ネットワークなどのテクノロジーの応用が必然となる。情報の共有にネットワークとコンピュータ端末は必須の道具となる。教育委員会にはネットワークの管理者がおり、各学校には校内ネットワークのコーディネータのような者が必要となる。校内ネットワークは教職員だけが利用できるシステムとなる。教職員間のコミュニケーションの手段は、電子メールと電子掲示板となる。さらに、個別の指導計画に関する情報はいつでも利用できるように文書ファイルのサーバーに貯蔵される。アクセスにはパスワードがいることは言うまでもない。
 ネットワーク上のコミュニケーションは日本人に適した手段であるといわれる。つまり、日本人の場合、面と面とのコミュニケーションは、ときに軋轢を生んだり、十分意図を伝えれないニュアンスがあったりする。しかし、ネットワーク上の対話は、時間差や非同期といった要素が入り、一対一での言葉での緊張を緩和することが多い。直接伝えにくいことでも、文字による手段では、ゆっくり考えて論理的に伝えることも可能となる。しかも、日本人には多くの人に前で積極的に発言することは、「でしゃばり」とか、「かっこつけやがって」などという出る杭を打つ文化がある。したがって、会議などの人前ではなるべく発言を控えるということになる。

(8) 個別の指導計画と評価
 個別の指導計画と評価は、車の両輪のような役割を果たす。評価の作業は委員会でなされるのであるから、生徒の指導に関する多角的な意見がでてくる。この評価作業により、教師の評価力量が高まることが期待される。これまでのように、個々の教師が、指導評価を一人で考え悩むということは少なくなる。さらに評価の作業は、親と教師のコミュニケーションが深まる機会にもなる。
 個別の指導計画の評価には、指導の一貫性と継続性を保つという機能もある。教師の転出や休職などによる指導の中止という事態は絶えず存在するのであるから、評価を複数の者が行い、情報を共有しておくことは重要なことである。指導計画作りと評価を共同の作業することにより、個人の恣意的な評価を避け、一貫性を継続性を保持することができる。またこの作業は、評価の客観性をある程度、保証することにもつながる。

III. 個性のある学校作りと教師の力量形成

1) スペッシャリストとしての教師
 個別の指導計画による生徒への対応は、それぞれの教師が持つ専門性を一人一人の生徒に生かすことが前提である。そのため、教師はジェネラリストではなく、スペッシャリストとしての教師であることが期待される。教師は専門とする領域をいろいろな生徒に教えることになる。例えば、個別の指導計画によってコンピュータを使った学習を必要とする生徒には、メディアコーディネータが指導する。動作法を必要とする生徒には、動作法のリーダー資格を持つ教師が担当する。また、言語指導が必要な生徒には、言語治療士がつくというように、生徒の教育ニーズに応じて指導スケジュールは調整される。終日、一人の教師が一人の生徒をすべての領域にわたって指導するという現在の体制はありえない。その意味で教師の力量形成は、専門性があるかどうかを問うことである。

2) ネットワークとコミュニティ
 職員会議などでは、特定の者が発言することが多いといわれる。そのために意志決定が偏ったり、新しい発想が生まれにくいという傾向がある。しかし、ネットワーク上では声なき声が重要な発言として取り上げられる。発言しなかった教師の声が語られ、異なった主張が皆に読まれる。校長も平の教職員も同じ立場で語ることができるのは、ネットワークの効用といえる。ネットワークが新しいコミュニティを造ると呼ばれる所以である。

3) 教師の力量形成と個別の指導計画
 養護学校は、一種の教育企業と考えれば、当然特色のある教育商品を生み出すことが期待される。そのためには個々の教師のアイディアが尊重され、その意見が商品の開発に反映されねばならない。どのような小さなアイディアでも良いのである。アイディアの工夫にあたっては、個々の教師の足をひっぱらないことが大事である。  教師のアイディアは、親の希望や要望を取り入れて個別の指導計画に具体化されねばならない。かくして指導計画は、教育商品となる。この商品は、消費者である親の意見を採り入れながら改良されていかねばならない。教師の力量形成と指導計画作りは切り離すことはできない。
 個性のある教育商品が作られる学校には、個性のある教職員集団が必要である。そのためには、教師は決して等質な集団でないこと、それぞれ専門性があること、教育になんらかのビッジョンを持っていることが、学校の個性をつくり上げるうえでの前提である。学校の個性とは文化である。文化とは、どの学校にも共通するものではなく、地域や親や生徒の特徴を反映したものである。この学校文化には普遍性を要求する必要はない。「今、ここで」生きる子どもたちにとって大事な価値を追求する営みが学校に要求されている。

 IV. おわりに

 個性のある学校作りと教師の力量形成の先頭に立つのは校長である。教師の力量形成と個別の指導計画の導入において、校長は単なる管理者ではなく、スクールリーダーとしてCEOのような新しいスタイルの校長が求められている。それは最高経営責任者としての校長である。その校長のリーダーシップのもと、教職員の一致協力した特色ある学校づくりこそが、学校改革の要諦である。CEOとして、最高責任者としての権限を持ち、それに相応しい資質と力量は校長の要件である。  校長は、若手の教職員や外部からの人材を積極的に活用すべきである。年功序列にとらわれず、新しい評価と任用方法を採用すべきときにきている。企業経営や組織運営おいて経営者に求められる専門知識やスキルを身につける校長が赴任する学校は、間違いなく個性のある学校となるだろう。  養護学校などは、2002年から新しい指導要領の導入やネットワークの接続を控えて、新しい学校経営を要求されている。特に個別の指導計画を個々の生徒に作成することにより、教育商品としての質の高いサービスの創造と提供が期待されている。校長には、教育成果と指導に責任を担う「アカウンタビリティ」の考え方が徹底されねばならない。

参考
今後の地方教育行政のあり方について(中央教育審議会答申)
http://www.monbu.go.jp/singi/cyukyo/00000253/
(本稿は、1998年11月25日に京都市立高等学校発達遅滞教育研究会で講演したものをまとめたものである。)

■資料

「生徒が習得すべきテクノロジー活用能力の一覧表」
  Profiles for Technology Literate Students


翻訳

  村川佳子 兵庫教育大学大学院  m98329c@students.hyogo-u.ac.jp

  猶原秀明 兵庫教育大学大学院 shumay@ce.mbn.or.jp 

  西谷 淳 兵庫教育大学大学院  a-nishi@mx.biwa.or.jp 

  丹羽 登 兵庫教育大学大学院  nobchan.niwa@nifty.ne.jp 



編集 成田 滋 兵庫教育大学 naritas@ceser.hyogo-u.ac.jp



目次

     I.  幼稚園から2学年までのテクノロジー活用のプロフィール

     II.  3年生から5年生のテクノロジー活用のプロフィール 

     III. 6年生から8年生のテクノロジー活用のプロフィール 

     IV.  9-12学年生のテクノロジー活用のプロフィール

I. 幼稚園から2学年までのテクノロジー活用のプロフィール

[習得上の指標]
すべての生徒は、つぎのような事柄を習得し活用するための機会を得るべきである。 それぞれの習得の指標の後にある括弧内の数字は、その習得がどの基準のカテゴリーにリンクしているかを示している。標準カテゴリーとは、次のようなことである。   1. 基本操作と概念
2. 社会的、倫理的、人権的問題
3. 生産手段としてのテクノロジーツール
4. コミュニケーションのためのテクノロジーツール
5. 調査道具としてのテクノロジーツール
6. 問題解決と意思決定のためのテクノロジーツール

 2学年の終了の前に生徒が習得しておくべき重要な知識は、次のようなことである。
1. コンピュータ、ビデオ、オーディオテープ、他の技術などを上手に利用でき、入力装置を使えること(マウス、キーボード、リモコンなど)出力装置を使える(モニタ、プリンタなど)(1)
2. いろいろなメディアとテクノロジーの資源を学習活動の形にこだわらずに使うこと (1,3)
3. 適切で正確な専門用語を発展的に用いながら、テクノロジーについてコミュニケーションができる(1)
4 学習支援のために、発展的に適切なマルチメディア教材(インタラクティブ絵本、教育用ソフトウエア)を使える
5. 基本的マルチメディア百科事典)を使える (1)
6. クラスでテクノロジーを使うときは、仲間や家族や他の人と協同的に仕事ができる (2)
7. テクノロジーを使うときは、積極的かつ倫理的に行動できる (2)
8. テクノロジーシステムやソフトウエアを使うときは責任を持って練習できる (2)
9. 教師、家族、友達のサポートにより、発展的に適切なマルチメディア作品を生み出せる (3)
10. 問題解決、コミュニケーション、思考・アイデア・物語のイメージ化のためにテクノロジー資源(パズル、論理思考問題、筆記の道具、デジタルカメラ、作図)を使える (3,4,5,6)
11. 教師や家族、友達のサポートを受け、遠隔通信を使って、情報収集と他者との意思疎通をはかれる (4)

II.  3年生から5年生のテクノロジー活用のプロフィール

[習得上の指標]
 すべての生徒は、つぎのような事柄を習得し活用する機会を得なければならない。なお、それぞれの習得の指標の後にある括弧内の数字は、その習得がどの基準のカテゴリーにリンクしているかを示している。 標準カテゴリーとは、次のようなことである。
   1. 基本操作と概念
2. 社会的、倫理的、人権的問題
3. 生産手段としてのテクノロジーツール
4. コミュニケーションのためのテクノロジーツール
5. 調査道具としてのテクノロジーツール
6. 問題解決と意思決定のためのテクノロジーツール

 5学年の終了の前に生徒が習得しておくべき重要な知識は、次のようなことである。
1. キーボード、共通の入力や出力(必要に応じて適応するデバイスを含む)を有効に効果的 に使用できる(1)
2. 日常生活の中で共通に使うテクノロジーや、それらを使うことによる有利な点、不利な点 について議論できる(1,2)
3. テクノロジーと情報を使用する際の責任や、不適切な使用、個人的な結果を記述すること に関する問題を議論できる(2)
4. 一般的に生産性をあげるツールや、個別に生産性をあげ、スキル不足を補い、カリキュラムを通して学習を容易にする周辺装置を使える(3)
5. クラスの内外に向かって、知識を創造するために、テクノロジーツール(マルチメディア 対応のオーサリングツール、Webツール、デジタルカメラ、スキャナーなど)を使って、個別 にあるいは相互的に記述したり、コミュニケーションをはかれる( 3,4)
6. 遠隔地の情報にアクセスしたり、遠距離にいる人と直接コミュニケーションし、一人で学 習するのを助け、個人的な興味を追求するために、遠隔通信技術を有効に使える(4)
7. クラス内外の人と、問題解決や生産を発展させることを目的として、共同して問題解決活 動に参加するために、遠隔通信やオンライン資源(電子メール、オンライン会議、Web環境な どを使える(4,5)
8. 問題解決や自己学習、その他の広がりのある学習活動のために、テクノロジー資源(計算機、データ集積装置、ビデオ、教育ソフトウェアなど)を使える(5,6)
9. いつテクノロジーが役立つか判断でき、適切なツールやテクノロジー資源を多様な課題や 問題にあわせて選択できる(5,6)
10. 電子情報資源の正確さ、関連性、妥当性、包括性、偏見を評価できる

III.  6年生から8年生のテクノロジー活用のプロフィール

[習得上の指標]
 すべての生徒は、つぎのような事柄を習得し活用するための機会を得るべきである。なお、それぞれの習得の指標の後にある括弧内の数字は、その習得がどの基準のカテゴリーにリンクしているかを示している。 標準カテゴリーとは、次のようなことである。
   1. 基本操作と概念
2. 社会的、倫理的、人権的問題
3. 生産手段としてのテクノロジーツール
4. コミュニケーションのためのテクノロジーツール
5. 調査道具としてのテクノロジーツール
6. 問題解決と意思決定のためのテクノロジーツール

 8学年の終了の前に生徒が習得しておくべき重要な知識は、次のようなことである。
1. 普段使っている時によく起こるハード的・ソフト的な問題の確認と解決のための方法がわかる (1)
2. 情報技術の最新の動向や、職場や社会におけるそれらの変化による影響について説明できる (2)
3. 情報とテクノロジーを活用する時の合法的かつ倫理的な行動を示し、悪用の問題点について議論できる(2)
4. 内蔵された特別なツールやソフト、そして学習や調査を支援するためのシミュレーションなどを使える(例えば、環境調査、計算結果のグラフ化、調査のための環境、Webのツールなど)  (3、5)
5. 個人的な制作、共同研究、そして全てのカリキュラム上での学習といったものを支援するために、マルチメディアツールと周辺機器を使える(3、6)
6. テクノロジーによる資源を使って、計画し、発展させ、公開し、結果を提示できる(例えば Webのページ上やビデオテープで)。そして、教室の内外の人たちにカリキュラムの構想を伝えたり、説明することができる(4、5、6)
7. 専門家とその他の人達が、遠距離通信やカリキュラムに関連した問題や問題点、情報を調査するための共同研究のツールや教室内外の人たちに成果を示したりするツールを使って、お互いに協力し合える(4、5)
8. 様々な課題を成し遂げ問題を解決するために、適切なツールとテクノロジー資源を選択し、使用できる(5、6)
9. 基本的なハードウェアー、ソフトウェアー、それらが連動したことについて、また学習と問題解決のための実用的なアプリケーションソフトについて理解していることを説明できる。(1、6)
10. 実社会の問題に関する電子情報源の正確さ、関連性、妥当性、包括性、偏見について、調査と評価を行える。(2、5、6)

IV. 9-12学年生のテクノロジー活用のプロフィール

[習得上の指標]
 すべての生徒は、つぎのような事柄を習得し活用するための機会を得るべきである。なお、それぞれの習得の指標の後にある括弧内の数字は、その習得がどの基準のカテゴリーにリンクしているかを示している。 標準カテゴリーとは、次のようなことである。
   1. 基本操作と概念
2. 社会的、倫理的、人権的問題
3. 生産手段としてのテクノロジーツール
4. コミュニケーションのためのテクノロジーツール
5. 調査道具としてのテクノロジーツール
6. 問題解決と意思決定のためのテクノロジーツール
 12学年の生徒が卒業にあたり習得しておくべき重要な知識とは、次のようなことである。
  1. 現代のテクノロジー資源の限度を知り、テクノロジーを使った生涯学習や職場での学習システムや教育サービスを評価できる (2)
2. テクノロジーシステムと資源、サービスの選択できる(1、2)
3. 職場や社会全体でのテクノロジーへの信頼感を育て、普及したテクノロジーの活用に関する長所や短所を分析できる  (2)
4. 同僚間、家族間、社会間でのテクノロジーと情報の使用について合法的で倫理的な 態度を涵養し、それを実行したり主張できる (2)
5. 個人的、職業的情報を扱い、コミュニケーションのためのテクノロジーのツールと資源を用 いることができる(例えば、財政、予定、住所、購買、通信) (3、 4)
6. テクノロジーベースの選択や、遠隔教育や放送教育などの生涯学習を評価できる  (5)
7. 協力、調査、発表、コミュニケーション、生産において、必要な場面で日常的にかつ能率的にオンライン情報の資源を用いることができる  (4、 5、 6)
8. 学習内容に関する調査、情報分析、問題解決、決定のためにテクノロジーのツールを選びそれを応用できる  (4、 5)
9. 本当の世界の状況で専門的システム、知的行為者、シミュレイションを調べ、応用できる  (3、 5、 6)
10. 収集し組み立て作り出し情報を広めモデルを作るために、テクノロジー内容に関わる知識ベースの構築に貢献するため、同僚、専門家、他人と協力できる (4、 5、 6)

[コメントや提案について]
以上のプロフィールに関するコメントや提案などは、電子メールで以下のリンクへ送って下さい。「9-12学年生のテクノロジー活用のプロフィール」の項目番号でうたう指標にそってコメントして下さい。

参 考
このテキストは、以下のwebサイトに掲載しています。
 http://cnets.iste.org/sfors.htm
 http://at21edu.edu.hyogo-u.ac.jp/~naohara/technology.html

■パソコンバンクのコーナー

マックの使用レポート
 藤田 潔 筑穂町健康福祉総合センター fujitaki@mocha.ocn.ne.jp
 MES九州に参加しています藤田といいます。平成10年6月にパソコンバンクから筑穂町健康福祉総合センターの心身障害児通園部門にパフォーマ630をいただきました。その節はどうもありがとうございます。6月にいただいて、約6ヶ月間の使用レポートを遅らせていただきます。
 センター状況ですが、施設自体が全く新規の平成10年4月にオープンしたばかり で、私の妻(保母)も何から始めてよいやら思考錯誤の連続だったようです。実際、マックを頂いてセンターに持ち込んだのが7月の中旬だったと思います。しかし、マックを実際に使用することが出来たのは、9月に入ってからでした。使用の内容は、自分の子供の使用状況から、主にMES96・97のCD-ROMからの「型はめ(愛知県日台養護学校;広瀬雅彦氏)」「ひらがなことばあそびうた・かずならべ(横浜市立鴨居小学校;荻野泰弘氏)」のソフトを重点的にしています。これは、私の5歳のダウン症児にマックを使用をさせた経験から決めました。
 家庭でマックを使っているわけですが、彼のお気に入りは、定番と思いますが「らすたちゃんと遊ぼう」です。このらすたちゃんは、非常によく出来ていて、これをやり始めるとなかなか終わってくれません。施設での使用を考えると、他の訓練プログラムに影響を及ぼさないためにも、家庭でするような長時間のソフトは使用しないようにしました。実際の使用状況は、マック(パソコン)を初めて触った子供ばかりで、ソフトの内容もよく出来ていることから、夢中になってしてくれているようです。しかし、子供は夢中になっても、すぐにあきることから、マックの使用を短時間に絞って、繰り返しすることで学習の効果が出てきていると思います。特に数え方のソフトの効果は高いようです。このようなソフトを作者及びMESが安価で提供してくださり感謝しております。そろそろ、使用のソフトから3ヶ月が経過していることから、私の子供の経験を参考に別のソフトの導入を考えております。
 施設の子供の通園状況は、当初2名程度で始まりましたが、地域(2市8町)に初めて出来た施設(障害児通園事業)であることから現在は5〜6名、多いときには8名程度になります。マックの使用もはじめは1台で十分でしたが、現在は、子供の取り合いも心配するようになりました。センター(町)にもマックの導入をお願いしているのですが、マックについて理解はされても、今般の状況(不況による税収不足等)から、来年度の購入は出来ないようです。もし、パソコンバンクで余裕があれば、もう1台お都合できましたら幸いです。短い文章でしたが、レポートとさせていただきます。

■皆さんからのお便り

「クリスマス交流会」
 加藤浩之 鳥取市中山小学校 hirokato@apionet.or.jp
学期末に、地元の中山中学校で「クリスマス交流会」をしました小学校から2学級4名の児童、中学校に2学級4名の生徒、そして、町内の養護学校に在籍している生徒3名で行いました養護学校の友だちも呼んで交流したところにみそがあったわけです。当日は、とっても楽しくクッキー作り、カラオケ大会など行われたわけですが、 それまでが大変でした。養護学校の生徒には出席扱いを前提としたかったからです。 知的障害児校はすんなりOK。再生紙はがきのプレゼントあり、担任もひとり来ていただきました。もうひとつ、肢体不自由児校はなかなか外出許可が得られず、療養センターに宿泊しているため、校長の一存でも決められず、何度か実施計画書のやり取りの末、やっと外出許可と出席扱いが得られました。最後は保護者の了解が決め手となりました。保護者には事前に了解済みですから。小学校からは校長、教頭の盛大な見送り、中学校からもクッキー作りに、校長、教頭の参加、家庭科の先生の支援、カラオケ大会には、音楽の先生の支援などありとっても意味ある交流会となりました。

卯年にちなんで
 前田卿子 静岡医療福祉センター wbs09029@mail.wbs.ne.jp
MES98年12月号には、当センターの『障害児コンピュータの取組』を載せて頂きありがとうございました。恐縮しています。まだまだ東京、大阪、兵庫には追いつきませんが、地道に一歩一歩努力していきたいと思います。当センターの障害児コンピュータ講習会では、2月11日に、視覚障害者の方や、『かめねっと』というパソボラネットの方をお呼びして、『パソコンで拡がる世界』というテーマで、講演会を企画しています。また、7月24日には、杉並こことの田中崇さんを講師にお呼びして、田中さんが、足で、パソコンを操作してプログラミング等が出来るようになるまでの、努力や、『杉並ここと』での活動をお話しして頂く予定です。また、東京の『杉並ここと』と、静岡の『かめねっと』との合同オフが静岡で実現することになりました。楽しみです。卯年にちなんで、静岡の、障害児コンピュータの飛躍の年にしたいと思っています。これからも、ご指導、ご支援よろしくお願いします。

聖坂養護学校から
 松井 務 神奈川県聖坂養護学校 matsui@w-ing.or.jp
明けましておめでとうございます。さて、本校も3月には新校舎が立ち上がり、新しい教育が始まります。それは、教室のオープン化と「個別教育計画」による教育、各クラスへのパソコンの導入、校内LANによる情報の共有化等です。パソコンについては2年ほど前から子どもたちに市販のソフトで遊ばせながら、可能性を探ってきました。しかし、現場の教師は数名を除いてパソコンは初めてということで当面は使いながら馴れていってもらおうと考えています。

MES和歌山支部に向けて
 小栗 信 和歌山大学教育学部附属養護学校 ogurim@center.wakayama-u.ac.jp
私、今年で養護学校5年目となり、小学校教員時代(講師期間も含め)と同年となり、節目の年ではないかと考えています。約10年間の教育活動は、へき地教育〜国語物語教育〜性教育〜野外教育活動〜障害児教育〜情報教育(その他音楽・環境教育・農作業)・・・と多岐にわたり、一見脈絡の無き感もしますが、校種・教科に関わらず私なりの教育観で以て進めてきたつもりであります。しかしながら、教育が大きく変わろうとする昨今(いえ崩壊していく?)、自分の中で、教育の流れ・目の前の子供・自分の教育観に若干のずれを感じてきております。それは、大学で学んだ教育学をベースに、あまりにも己の勘・嗅覚に頼ってきた為であろうと考えています。  小学校か養護学校かといった分け方ではなく、特殊教育の地に立ちながら、教育を グローバルな視野で見ることを忘れず勉強することを大切にしたいと考えています。 昨年は、NTTより借り受けたフェニックスTV会議システムを利用した交流学習を「 滋賀大・京都教育大附属養護」「たちばな養護」「附属中学校」「美里中学校」と行 いました。それから若干の報告会を。昨年年末に郵政省高速インターネット専用回線モデル研究指定があたり、3年間「衛星回線」が借りられることになりました。念願のサーバーが持てます。どのような実践を展開できるかと思案中です。今年はMESの方もがんばりますので、和歌山支部に向けてよろしくお願いします。



沢山の賀状を頂戴いたしました。お礼申し上げます。では来月の会報をお楽しみに。