成田 滋 兵庫教育大学
目次 「教育」から「学習」へ 学校と情報基盤の整備 遠隔学習の可能性と現状 学習の機会均等とその間題点 アメリカの学校とインターネット インターネットと子どもたちへの配慮「教育」から「学習」へ
我が国の教育制度は、戦後から今日まで教授法という面ではほとんど変わっていない。 教師は与えられた教科書を使って事実や知識の体系を伝達し、生徒はそれを一生懸命記憶している。生徒に必要な主な情報源は、今も印刷された教科書が中心である。実際の教育現場では、生徒はただ与えられたことを丸暗記するだけで、これはかっての寺子屋での教育と全く同じである。生徒は、「なぜ学ぶのか、学んだことが自分たちの生活とどうつながるのか」という根源的な問いまで考える訓練はされていない。この事実は、教師自身がそうした学習スタイルの訓練がされていないことにもよる。
学校教育はいつの時代も保守的で、新しい方法や技術の導入には極めて鈍重である。「教師は教え、生徒は教えを乞う」という図式が固定化されている。今や「教育」から「学習」へのパラダイムの転換がやってきている。このパラダイムでは、教師の役割を変え、生徒の主体性を強調する。こうした変容が可能となってきたのは、コンピュータや情報ネットワークの導入と活用である。しかし、依然として学校は、この時代の変容に対応しようとしていない。それどころか、コンピュータの置き場所、使い方を教える時問の確保、予算といった些細な理由をつけて、なかなか実際の授業に採用しようとしない。そのような状態の中で、コンピュータ利用の教育を推進するには、まず教師の再教育、いや再学習から始めなければならない。
今やインターネットと呼ばれる情報通信網が普及しつつある。家庭にも高速の専用回線をひくところが増えている。こうした情報基盤の整備によって、近い将来家庭であろうと学校であろうと、どこでもいつでも学習(learning)できるようになるだろう。教室という枠を超えて世界中の情報を利用し、ネットワークを介して外国の学校との交流もできるようになる。教室という物理的な制約も、8時30分から3時までという授業の時問的な制約もなくなる。親は子どもが通っている学校と気軽に連絡を取り合うこともでき、学校と親の関係も強くなるはずである。教師や生徒が世界各国の教師仲間、生徒、科学者、学者、専門家らと対話することによって、人々の知識レベルは飛躍的な向上を遂げるものと期待される。
学校と情報基盤の整備
これから高速の専用回線が学校間にくまなくひかれ、学校や家庭に情報端末コンピュータが入れば、子どもから大人まであらゆる年齢層の人たちが、情報基盤を利用して文字、静止画、動画、音楽、シュミレーション、教育用ソフトから成るマルチメディアの電子図書館や博物館にアクセスすることができるようになるといわれる。このようなオンライン・ネットワークには、ビデオを利用した講義、遠隔情報収集、電子メールや電子掲示板による情報のやり取り、そしてネットワークを介した通信ソフトやシミュレーションの送受信など、さまざまな教育サービスが可能となる。以上のようなサービスは、各地で小規模ながら、いろいろな実験が行われており、そこから得られる知見は急速に広まっている。
こうした環境が人々の学習に及ぼす影響は測り知れないものがある。情報基盤が整備されれば、学校という建物の制約に縛られることなく知識を身につけられ、教える側も学ぶ側も世界中の情報源を手に入れることができる。さらに教師や生徒は、多種多様な情報資源を利用したり情報交換するようにもなる。今日の世界市場は情報によって動いているように、21世紀の学校は、今とは大分様変わりをしているはずである。
以上のような情報基盤が、人々の一生涯の学習を促すための有効な手段であることが認識されれば、教育制度は改善されるにちがいない。情報基盤を利用することが年齢や能力に拘わらず、多くの国民が高い水準の教育を受けられ、新たな情報基盤は、教育関係者、教師、生徒に新しい学習手段を与えることで、学校教育や専門技能の習得、生涯学習を根本から変え、従来の教育とは比較にならないほどの成果を約束すると考えれる。学習は個人主導で行われるにも関わらず、その内容や方法がグローバルな規模で行われるのがその特徴である。まさにこの姿が「教育」に代わる「学習」の姿である。
21世紀は「生涯学習の社会」といわれる。そのキーワードはLearning(学習)ということである。アメリカ合衆国も21世紀を目指して「生涯学習の社会」の建設に向かっている。この社会では次のような未来のシナリオが描かれている。
1. 年齢に拘わらず、すべての人々は、その道の専門家や教師に遠隔地からアクセスでき、彼らの豊富な知識を得ることができる。
2. なんらかの障害をもっている生徒も、オンラインの参考資料を使い、双方向で授業に参加できる。
3. マルチメディア対応で双方向学習プログラムを使い、文化的にハンディのある少数民族や海外からの移住者の家族に英語や基礎科目の習得を援助できる。
遠隔学習の可能性と現状
学習者にとってインターネットなぜ魅力的なのか。それは、遠く離れた場所にいてコンピュータを使って授業を受けたり自己学習できる「遠隔学習」ではないかと考えられる。このサービスは特に家庭が貧しいために、子どもが文化的な刺激を受けにくかったり、遠くへ出かけていって自分の目で事実を確かめることが困難な場合や、人口が少なくて教育施設の乏しい地域の生徒にとって有効なものである。
いくつかの例を引用しよう。ニューヨーク市にあるハーレム地区の生徒は、オーストラリアの研究者たちと電子メールでやり取りし、鯨の声を聴いてマルチメディアによるレポートを作成したり、コーネル大学の研究者たちとテレビ会議を行った。ネットワークを導入したことで、生徒たちは世界中の情報源から知識を得られるようになったのである。この結果、生徒の学校への関心は高まり、研究者から直接知識を習得できるようになったことで、学習意欲が高まり全体的に学力も向上したということである。
我が国では、「メディアキッズ」というプロジェクトが数年前から開始され、これを使って小規模ながら全国の14の小中学校の間で遠隔交流が行われている。北海道の阿寒の小学校と八丈島の小学校の生徒が、互いの生活や学習のことが語り合われている。また障害のある生徒もこうした対話に加わっており、障害のあるなしは、ネットワーク上の交流には影響されない。まさにそこは時間と距離に依存しない子ども達の世界が広がっている。このプロジェクトは、情報通信網の拡充とともに1996年度は10倍の130校の間で交流が広がることになっている。
(図1メディアキッズ 挿入)
遠隔学習は、距離的に遠く離れたところだけで行われるものではない。病院内の学級と本校との生徒間や教師との交流にネットワークが使われている。いわゆるイントラネットとインターネットを足した使い方である。例えば、滋賀県立守山養護学校は病弱児の学校であるが、ここでは家庭、病室、教室を結んでの日記の交換や励ましが行われている。移動や歩行がままならない子どもたちにとってネットワーク通信は、唯一ともいえる外界とのコミュニケーションの手段である。
(図2守山養護学校 挿入)
ネットワークとコンピュータを使ったテレビ電話も学校間では実験段階であるが、聴覚障害の生徒の間で試みられている。福岡聾学校と大阪市立聾学校の生徒が、相手の手話を見ながら会話しているのが報告されている。モデムを介した低速な通信方法であるが、映像メディアだけのコミュニケーションも手話という言語で充分通じるという一例である。
兵庫教育大学でもゼミの学生と筆者が4キロ離れた部屋から互いの顔を見ながらゼミを行っている。近い将来、学生は自宅や寮から授業やゼミに参加できることになろう。そうなればおのずと教官の役割は変わり、これまでのような大教室で講義するという形態は少なくなり、むしろネットワークの使い方、情報の検索方法、統計処理、レポートの添削、学生間のディべーとの設定など「学習」を支援する役割が多くなると考えられる。
同じく兵庫教育大学では、オンラインによる大学公開講座も開かれ30名あまりの社会人や他の大学の学生がインターネット上で学習している。これは、大学の市民への開放であると同時に、ネットワークにされアクセスできれば、誰でもいつでも学習できるという例である。こうした形態は、高齢化社会が進行し、生涯にわたる学習の機会が求められることが予想され、それを支えるネットワークが普及することによって今後ますます広がるはずである。
遠隔学習は確かに大きな可能性を秘めているが、そうは簡単には各地で実施できない現実もある。遠隔学習で最も難しいのは、インターネットを初めとするネットワークの操作性を改善することである。初心者にとって、ネットワーク内を移動することは簡単ではない。必要な情報源がどこにあるのかを知るのも容易ではない。また、誰となにを学び合うかという動機や理由がないと遠隔学習は成立しにくい。ネットワークにアクセスできるか、という基本的な課題もある。高度な技術を利用して情報通信網を使って学習環境を構築していこうという努力は、企業の努力で断片的にしか行われていない。
学習の機会均等とその間題点
インターネットが普及する一方で、いくつかの杞憂が提起されている。それは、情報通信網が平等な教育制度の実現に役立つのか、それとも財政的に豊かな地域とそうでない地域の学校差が起きるのではないかという点である。このことに関して結論から言えば、インターネットは、中央であろうと地方であろうと、都会であろうと田舎であろうと、農村であろうと漁村であろうと、北海道であろうと沖縄であろうと、距離に依存することなく生徒の学習の機会を提供してくれる。さきのハーレムの生徒とオーストラリアの大人が、インターネットを介して世界中の情報源に平等にアクセスしているように、国境を越えて生徒が地域に関係なく同じレベルの知識を身につけられることは確実である。学習の機会均等化はネットワークの整備なくして実現できないほどである。
学校財政にかかわる課題としては2つの大きな障壁がある。まず第1は、情報通信網を構築する企業は、政府の資金援助なしですべての学校に平等なアクセスを提供できるのかということである。第2は、財政難にある自治体や教育委員会はどのようにしてネットワーク活用整備のための資金を調達するのか、ということである。現在のところ我が国では、企業が将来の市場拡大を意図した呼び水的なプロジェクトを進めているだけで、文部省や通産省はそれを後押ししているに過ぎない。アメリカの場合も財政難を抱える連邦政府は、企業の努力に待たざるを得ない状況である。
アメリカの学校とインターネット
アメリカの学校とインターネット接続に関する統計を以下に紹介する。1995年度末では、アメリカの50%の公立学校はインターネットへのアクセスができる。前年の1994年は35%であった。一方、低所得の家庭の子弟が通う公立学校の31%がインターネットにアクセスできる。高所得の子弟の通う公立学校の62%がインターネットにアクセスできる。また生徒数が300人以下の学校の39%はインターネットにアクセスできる。一方、生徒数が1,000人以上の学校の69%がインターネットにアクセスできる。
ネットワークに繋がっていない学校が抱える問題は、予算が不足していることとアクセスポイントが整備されていないことである。55%の学校がネットワークの整備のための予算が不足しており、54%の学校がアクセスポイントが不足していると報告している。
我が国の場合心配されることは、いくら情報通信網を構築しても教育委員会や教師が無関心であっては、貴重な情報源は何の役にも立たないことである。コンピュータが折角導入されても埃をかぶっているという事実はそこここにある。しかもコンピュータ室にある多数のコンピュータがいまだ接続されておらず、教師が細々とワープロを使っているというお寒い現状もある。コンピュータ通信のための電話回線を引くこともままならないことも多い。こうした学校内の課題を解決してはじめて、ネットワークシステムは学習の機会の平等という真の目的を達成できるのである。
インターネットと子どもたちへの配慮
情報通信網の普及によるインパクトは企業や官庁、学校だけでなく個人や家庭にも少しづつ影響が生まれている。専用回線の設置が家庭でも増えていることがその一例である。学校の対応はさておき、個人はなにをすべきかであるが、一般家庭の選択肢は2通りあると考えられる。
第1は、子どもの通っている学校に高速のモデムを搭載したマルチメディア対応のパソコンを購入してもらうよう教育委員会や学校に働きかけることである。教育関係者というのは、えてして保守的であり、従来のカリキュラムとは異なった指導方法や教育技術に対しては拒否反応を示しがちである。しかし、ネットワークとコンピュータは従来のカリキュラムを補完し強化する可能性を秘めているのであるから、時代の動きに敏感な学校は、この新しい学習方法を積極的に採用していくはずである。第2は、インターネットを利用するためのコンピュータを自宅でも買うことである。いまのうちに子どもが自宅でネットワークに慣れ親しんでおけば、将来必ず役に立つにちがいない。そのことによって親子が、学校でもネットワークを使った授業を始めることを要求するすることができる。ネットワーク上では、教育用のプログラムはたくさん出まわっているのであるから、子どもたちには早いうちからインターネットやオンライン・サービスを通して他の利用者と情報をやり取りすることの面白さを体験させるべきである。
子どもたちのネットワーク利用の学習を支援するには次のような点を改善しなければならない。
a. アクセス
学校でも家庭でも、すべてのサービスに平等にアクセスできるようにすることであある。自宅から安い利用科でアクセスできるようにすれば、学ぴたい人はいつでもどこでも必要なときに情報源にアクセスでき、子どもも大人も好きな分野について学習し、有意義な人生を送れることができる。この目標を達成するには、あらゆる学校、家庭に高速の通信綱を敷設し、音声、画像、データ、そしてマルチメディア・サービスを双方向でやり取りできなければならない。
b. 使い勝手
教育用として、情報検索ツールや教育リソースやサービスの一覧を用意したり、感覚的でわかりやすいインタフェースを開発するなど必要がある。さらに、電話と同じくらい簡単な操作で子どもも誰でも使えることも大切である。ファミコンなみの操作感覚をもった入力装置が大事である。
c. コンテンツと倫理
生徒個人の肖像権や生徒の学業などプライパシーに関する情報の内容は、今後重要になってくる。学校間の交流が進めば、生徒間の不用意な中傷や性にまつわる映像の流通などが起こりうる。しかも、生徒自身が発信者となることが予想されるので、情報の内容の点検には充分注意を払う必要があると同時に、そうしたことを予防するためのネットワークのモラルやエチケット、セキュリティについての教育が必要となろう。
子どもたちは、これからの情報化社会を切り開き背負っていく世代である。彼らは、通信手段としての電話、移動手段としての自動車、娯楽や情報源としてのテレビの黎明期と同じく、これからはネットワークとコンピユータをごく当たり前のように受け入れていく世代でもある。情報通信網は、これまで営々と続いてきた教師から生徒へ知識を伝達する教育制度から「学習の普遍化」という学習者主体の制度へと根本から覆す潜在性を持っている。
参考文献
Ellsworth, J.H. (1994). Education on the Internet, A Hands-on Book of Ideas, Resources, Projects, and Advice. Indianapolis: SAMS Publishing. マイケル・トレーナー(1995). ポスト・インターネット情報スーパーハイウエイはこ こまで来ている. (秋田俊生訳), ソフトバンク. 永野和男(1995). 発信する子どもたちを育てる--これからの情報教育. 高陵社. U.S. Department of Education (1996). Advanced Telecommunications in U.S. Public Elementary and Secondary Schools, 1995. U.S. Department of Education (1995). Advanced Telecommunications in U.S. Public Elementary and Secondary Schools, 1994.キーワード:教育から学習へ、インターネット、情報通信網、遠隔学習
教育から学習へ
「学習」は、生まれてから一生涯、自己形成のために成長する糧を求める行為と考えられる。教育が学校とか義務教育といった制度的な保障のもとでの知識の習得に力点が置かれてきたが、学習は個人の意欲や動機に根ざした行為である。学習を保障するためには、学習環境が必要となる。その有効な方法が情報基盤を利用したインターネットなどの手段を使った学習と情報交換である。
以上